03’11’23久しぶりにやってきた息子たちのお土産はイチゴだった。十一月末のイチゴである。
私が子供のころ、イチゴは六月頃食べる果物だった。小粒で酸味があり、スプーンの背で潰し、砂糖と牛乳をかけると、牛乳に白い「かす」のようなものが浮いた。下手をするとイチゴが滑って、ピシャッとはねて服を汚したものだ。
「お行儀が悪い」と言われながらも潰していくと、牛乳がピンク色に染まり見るからにおいしそうになる。エバミルクなどのあるときは更に「御馳走」だ。二十歳前後の私にはイチゴのアレルギーがあり、ジャムさえ口に出来なくなっていた。結婚して都内を離れ、羽村の地に住むようになって、このイチゴアレルギーからは解放された。水が変わったことが大きな要因ではないかと思っているのだがどうだろう。
やがてイチゴ用の「滑らないスプーン」も出来た。
今、イチゴはハウス栽培が主流で、最盛期は冬になり、大粒で色もきれいなものに変わっている。酸味はなくなり、イチゴそのものの味で食べられる。昔ながらの露地栽培と思われる小粒のイチゴは、「ジャム用」として、スーパーでたまに見かける程度である。
貰ったイチゴは、みずみずしい「がく」のような緑の葉をつけたまま、おなじみの透明なケースに二段に並べられていた。つやつやと輝き、いかにもおいしそうに見える。
お正月にはおいしく食べられていたが、十一月にもうこんなになっているのかと感心しながら葉をはずすと、現れたお尻はとんがっていて真っ白だ。口に入れると白い部分は硬くてまずい。
そういえば、「イチゴの食べ放題」に参加したとき、「お尻は食べない」と言った人がいたなあと思い出した。
昔はすっぱかったけれど全部食べられた。今は「イチゴのお尻は食べない」のが普通なのだろうか。見た目があまりにもきれいだったので、葉を取ったイチゴはなんだかかわいそうな感じだった。
「見てくれのよさで勝負」という風潮が、イチゴにまで及んでいるようだ。或は、葉をつけたまま上のほうだけを食べるものとして栽培されているのだろうか。
「もったいない」と思いながら、私も赤いところだけをおいしく食べさせてもらうことにしたのだった。