自 分 流

05’12’11
 「これね、テレビでやっていたとおりに作ったキンピラなの。 食べてみて。」  「ああ、見損なったのよ。」 
 山でのお昼時、主婦同士の会話である。 
 「ごぼうの皮を剥かないで使うのよ。」 「そうなの?」 「水にもさらさないの。」 「だってすごいあくが出るでしょ?」 「そのあくがうまみなんですって。」
 「調味料はお酒とお醤油だけでね。」 「へえ〜。」 「味はどう?」 「うん、おいしい。」

 「豚汁のときは見た?」 「それは見た・・・。」 「あっさりしていておいしいけれど、自分の味も捨てがたいと思ったわ。」 「お宅は豚汁作るとき、油でいためない?」 「いためるわよ。」 「うちでもいためているけれど、テレビではいためなかったのね。」 「いためたほうがおいしいと思うけれど。」  

  「テレビで見た通りのキンピラ」と言ったが、正確に言うとそうではなかった。 テレビではごぼうの皮を皮むきで剥いて、それはそれで細く切っていたのだが、 私は「違いというほどのことではあるまい」と「皮を別にしないで」切った。 「水にさらさない」のは実行した。
 つまり、面倒なことは自分流、楽だと思うことは、しっかり取り入れたというわけである。

 このテレビ番組で、私は長年疑問に思ってきたことが一つ解決したのだった。
 我が家では「ブタ汁」と言って来たのだけれど、周囲の友達には「トン汁」という人が多いのである。 どちらが正しいのかなと思っていたのだが、これは地域の差によるもので、関西は「ブタ汁」、関東は「トン汁」なのだそうだ。
 私は東京生まれ、東京育ちだから、関東のはずなのだが、父が大阪、岸和田の人間である。 若くして東京に出てきたということだが、こんなところに「出生地の秘密」が顔を出していたのである。
 ちなみに母は小田原の産で、関東だが、昔の女である。 ご亭主に従ったということだろうか。 これからは安心して使い慣れた「ブタ汁」で行こう。

 その後の我が家の「豚汁」は、やはり自分流に落ち着いている。 山での話の結論も、「この歳までやってくると、そう簡単に自分の流儀は変えられない」ということであった。
 テレビの出演者のように「このほうがずっとおいしい」とはどうも思えなかったのも「歳のせい」なのかもしれない。 あるいは、同じ私が作ったものである。 プロの味とは大きな差もあるのが当然ということだろうか。
 食べるのは自分である。 いまさら変えなくても十分おいしいと思っているのだから、それはそれで良しとしよう。 それでは、何のために一生懸命テレビを見たのだと、自問したい気にもなるのだが・・・。

 年寄りとはやはり「頑固」なものらしい。


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