折々に
事  情

05’2’8
 玄関に人の気配がする。予想通り新聞の勧誘員だ。いつも来る人たちとはいささか感じの違う人が、ネクタイ姿で戸を細めにあけて覗いている。「長年お世話になりまして有難うございました。○○新聞です」と言う。うっかり話に乗ってはことが面倒と、こちらも身構える。 
 「これからはずっと□□新聞にご契約なのでしょうか」と来た。「この前の電話でも申し上げましたが、そうさせていただくつもりです」と、切り口上にならないように注意しながら答える。「二年先でもかまいませんから三ヶ月だけお願いと言うわけには行かないでしょうか」。そら、来た。 

 当市に限られたことではないのだろうけれど、新聞二紙が競争で読者獲得にしのぎを削っている。我が家では、もう五十年近く○○新聞だった。しかし、時代も変わり、新聞の使命なるものも昔ほど明確ではなくなって、テレビでもネットでもいち早く情報が得られる時代になってみると、政治だの、経済だののお堅いニュース記事よりも、楽しい記事の多いほうが良くなった。我が家も、私の意思で選べる状況になったこともあり、「乗り換える」ことにしたのだった。 

 販売店には本部からの圧力があって、それはそれで大変らしい。特に、長く取ってくれていた客を逃すと、締め付けが厳しいのだそうである。その割には長い客へのサービスはないのだけれど。 
 人によっては二紙を交互に取るという。契約時にもらう洗剤が、余るほどあると笑っていた。 

 『私は、もうかなり前から乗り換えたかったのだけれど、販売店のバイト学生の奨学金に影響が出るなどと言われて、嘘か真か疑問に思いながらも譲歩し、協力してきた。この年になり、一生、□□新聞をとっても、○○新聞にお世話になった年数の半分にもならないわけだし、もう読みたいものを読んでも、バチは当たらないだろうと思っている』。これが私の落とし文句である。 

 友達に、「三ヶ月契約してくれたら、一万円贈呈する」と言われて契約した人がいる。それがどういうことなのかと、訝しく思っていたのだが、今回の「乗り換え」で、思いがけず、販売店の「裏事情」を知った。 

 新聞には大量のチラシが折り込まれてくる。新聞配達なのか、チラシ配達なのか分からないほどだ。 
 そのチラシを入れるだけの新聞の契約が取れないと、チラシが余って困るらしい。「いらないチラシなら捨てちゃえば」と言ってみたら、「配る契約」なので、それはできないのだという。大金を捨てる人もいれば、チラシを捨てられない人もいるわけだ。その結果「一万円贈呈してでも契約を」となるらしい。 
 だが、私はその申し出も断った。「一万円もいらないし、契約もしない」と。そこで出た相手の言葉には驚かされた。「申し訳ないけれど三ヶ月だけ無料で配達させてほしい」と言うのである。私は用心して、「自分ではサインもしないし、はんこも押さないが」と言った。 

 その「偽契約書」に「料金領収済み」と書いて、彼は自分の判を押し、「販売店から確認の電話があったら、”彼”に支払った、と言ってください」とのこと。要するに自腹を切っても契約数を増やすほうが得になるらしい。 
 一万円贈呈して正規の料金を払ってもらうのも、無料で配達するのも、結果的には大差のないことである。 
 夜になって、販売店から女性の声で確認の電話があり、私は言われたとおりに答えた。翌日、配達員が「有難うございました」と言って来たのにも驚いた。「お宅の裏事情が分かったわ」と言うと、笑っていた。もちろん販売店も承知の上で、お互いに、いわゆる「ナアナアの関係」なのだろう。 

 厳密に言えば、法に触れるのかもしれない。実質的な金銭の授受はないけれど、ささやかな「贈収賄事件」にでも当たるのだろうか。 
 あちらにはあちらの事情、こちらにはこちらの事情があるものである。    


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