09’4’14
今年は桜の開花が異常とも言えるほど早く、ツアーを申し込んでくれた友達も「誘ったものの・・・」と気をもんで、旅行会社に問い合わせたりしてくれていたらしい。
開花宣言が出てから、寒の戻りのような寒い日が続いたことが幸いして、桜の満開時期はほぼ例年通りに落ち着いたようだった。
山梨では東京より気温が低いから「滑り込みセーフ」で、きれいな神代桜が見られれば良いがと期待していた。
インターネットの「神代桜開花情報」が、「満開・すべての花が開花している状態」となってから、もう幾日かたっている。 行く日までもつか? ちょっと苦しいか?
かくして迎えた13日は天気に恵まれ、中央高速から甲斐駒ケ岳もしっかり見えている。 甲斐駒をバックに咲き誇る桜老樹・・・。 写真の構図を思い描く。
その通りになればよいが、到着するのは昼近くだ。 山はかすんでいるだろうし、花も散っているかもしれない。
山高の神代桜は実相寺の境内にあった。 1800年と言う信じられない時間を生き続ける桜。 それなりの手を尽くしてのことだろうがすごい生命力である。
周囲を柵で囲まれ、いかにも「老樹」の趣だった。 根元から大きく二方向に分かれている巨大な幹。 人間は老いて背中が丸くなり、桜は老樹となってこの姿なのだろう。
花は散ってはいなかったが、残念ながら見頃は過ぎていた。 数多くの支柱に支えられ、幹には手当ての痕も大きく残り、それでもなお咲き続ける。
薄墨桜を見てきた人が、「力をもらった」と話していらしたが、私は、神代桜に、どちらかと言うと「痛々しさ」を感じてしまった。
節くれだった巨大な根元に、その命の長さを思い、感慨深いものがあったが、「大変だったねぇ」と声を掛けたい気もしたのだった。 周囲に今を盛りの桜が植えられているのも原因の一つかもしれなかった。
境内には神代桜の「子桜」も大きく育っている。 「力をもらえた薄墨桜」と「痛々しさを感じた神代桜」と、その“年の差”は300年である。
ソメイヨシノの寿命が5〜60年と言うから、5〜6代分である。 しかもその前に“1500年”がプラスされるのだから、お疲れも当然である。
生あるもの、いずれは枯れる運命だ。 花の盛りに見れば、また違う感想を持つのかもしれないが、正直なところ、もうそろそろ自然に任せてゆっくりさせてやってもいいような気持ちで眺めた神代桜だった。