07’12’13
子供のころ、13歳年上の長兄が、良く私に本を買ってくれた。 この兄はいわゆる「本の虫」で、暇さえあれば本を読んでいるような人だった。
確か『小国民の科学』という本だったと思うのだが、買っては貰ったものの、正直なところ、あまり面白くはなかったと記憶しているので、私には「科学が好き」と言う感覚はまるでなかったとみえる。 ただ、せっかく買ってもらったのに、読まなくては悪いとの気持ちで読んだ覚えはあるが、内容はまったく覚えていない。
同じ兄に買ってもらった本でも『スンがリーの朝』は大変気に入っていた。 凍ったスンガリー(松花江)でスケート遊びに興じる子供たちの状景を想像し、いつか一度は行ってみたい場所としてずっと頭の片隅に残っていた。
私が実際に中国東北部を訪れ、スンガリーを見られたのは、兄が亡くなった後で、季節も夏ではあったが、船で遊覧することができ、感慨深いものがあった。
『ビルマの竪琴』も兄に買ってもらって読んだ。 最近のミャンマー情勢からはかけ離れた、心に響く話だった。
若いころの本好きは、兄に負うところが大きいと思っているが、最近の私は少なくとも「読書家」とは言えない。 カメラやパソコンのほうが面白くなってしまっている感がある。
そもそも、カメラは明治生まれの父が熱心にやっていて、戦前は書斎を暗室にして自分で焼付けなどもしていた。 その影響もあるのか三人の兄たちも終戦後はそれぞれカメラを持ち、私も中学生のころには買ってもらったマイカメラを持っていた。
亡夫も自分で写真の焼付けをする人だったが、その古い道具を使って、次男が撮ってきた飛行機の写真などを中学時代には焼き付けていた。 面白いものである。
私の環境に科学的なものがあったとは思えないのだが、車を運転し、カメラをいじり、パソコンで遊んでいると、機械に強そうに見えるらしい。
ヒーターのニクロム線を交換したり、バネの利かなくなったコンセントの差込口を付け替えたり、機能しなくなったスイッチを新しくしたりすることは、あるいは女性では、誰でもがすることではないのかもしれないが、これも「電気に強い」わけではなく、「できるかどうか、やってみよう」と言う好奇心なのである。 つまり、時代を先取りしていたような父親譲りの野次馬根性にほかならない。
私が中学、高校時代、よく手にした本に『天体の驚異』がある。 私は望遠鏡をのぞいたり、星座表を持って星空を眺めたりするのが好きだった。 これも、父の趣味で、家に小さな望遠鏡があり、ごく小さいころから、台に乗って、月のクレーターや土星の輪などを見せてもらっていた。 オリオン座も父に教えられた。 私の天体好きは明らかに父の影響である。
ハレー彗星を見たらしい父をうらやましく思い、次に見られる「76年後」を待っていたのだが、残念ながらこれは肩透かしに終わってしまった。
おそらく、わが生涯最高の天体ショーであったと思われるのは、2001年11月のしし座流星群で、あの感激は忘れられない。 頭上を行きかう巨大な流星群。 天体好きで本当に良かったと思っている。 できることならもう一度見たいものだ。
月を見ても、流れる雲を見上げても楽しめる。 幸せなことである。
子供たちの「科学離れ」が進んでいるという。 科学離れが進むのも、科学的な環境が周囲にないということだろう。 「科学の面白さ」を、ユニークな方法で伝える人が話題になることがあるが、そういう人に出会うチャンスのある子供は恵まれている。
「科学」とは何か、などと言うまでもなく、「なぜこうなるのか」と疑問を持つことが科学的にものを見る第一歩なのだろうが、何から何まで至れり尽くせりにお膳立てされている現代の生活の中では、「考え、疑問を持つ機会」が少なすぎるのではないだろうか。
考える力が落ちていると言われるが、やはり、来たるべくしてやって来た結果と言わざるを得ない。
この文を書いてみて、高校生のときに亡くなった父の影響の大きさを改めて感じたのだった。 環境とは人間形成の上で、まことに大きな力を持つもののようである。