錦繍の涸沢(からさわ)


02’10’7
 北アルプスの涸沢は穂高連峰に囲まれたカールである。紅葉の美しいことでも知られている。しかし、地球温暖化の影響か、近年の紅葉はさほどではないと聞いていた。
 今年の夏はことのほかの暑さだったが、九月に入ると急に涼しくなった。夏の暑さが嘘のように気温が下がった。こういう年は紅葉がきれいだというし、涸沢までの行程を考えると、元気なうちに行っておかなくてはと思い、いつもの山仲間と二人で出かけることにした。
 新宿発の夜行バスは疲れるけれど、便利さに負けて今回も利用した。折から台風21号の接近で一日遅らせて十月二日の夜発ち、三日の朝六時前、上高地についた。
 上高地も紅葉が始まり木々がかなり色づいていた。一時間歩き、明神で朝食を取り、徳沢、横尾と梓川をさかのぼる。横尾で梓川を渡ると紅葉は一段と進み、屏風岩を回り込むあたりではカメラを構える人たちが大勢いた。

 本谷出会いで小休止。快晴の空に映える赤や黄色の紅葉の美しさは、「きれい」という言葉ではまだ足りない。
 十時半、ここからいよいよ登りにかかる。しばらくは黄色やオレンジ色が多い。日をすかして黄金色に輝くトンネルの中を行く。時々目のさめるような朱色が混じる。
 やがて、前方に稜線が見え、涸沢岳や奥穂が姿を現わす。前後左右どこに目をやっても、白樺、岳樺の澄んだ黄色、ななかまどの赤や黄、鮮やかなオレンジ色はなんだろう、そしてそれを引き立てる緑、真っ青な空。
 私は言うべき言葉がみつからなかった。「来てよかったね」と繰り返すだけだった。
 八月には残っていた雪渓も小さくなり、山襞の雪は完全に消えていた。岩ばかりと思える穂高連峰にこんなに植物があったのかと思うほど山頂まで染まっている。
 二時前、涸沢ヒュッテに無事到着。今夜は一畳に二人とのこと。この時季としては普通だ。金曜土曜はおそらく倍の人数になるだろう。見下ろす涸沢のテント場にも色とりどりのテントが張られている。

 翌朝、「食事の用意が出来ました」の声に起こされたのは何と四時十五分。朝日が穂高連峰にさし始めるときを狙いたい大勢のカメラマンにはこれでちょうどというわけである。何しろ場所取りが熾烈なのだ。残念ながら薄いガスがかかり、前日のような空は望めそうになかった。
 フリースのジャンパーに手袋というスタイルで夜明けの穂高連峰を眺め、モーニングコーヒーを楽しんだ後、七時にヒュッテを出て帰路に着いた。一晩で、ななかまどの赤が一段と深みを増していたのは感動的だった。帰りの道のりは長く感じられたが、十年ぶりの美しさという涸沢の紅葉を最高の条件の中で見ることが出来た。ポスターに「錦繍の涸沢」とある。まさしく今年の涸沢は「錦繍」だった。

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