04’9’23インターネットの「お気に入り」に登録して、ちょくちょく覗いているサイトが、ある日突然消えてしまうことがある。写真専門のサイトの「画像掲示板」が「都合により、しばらく休止します」のメッセージとともにお休みになる例も多い。
ホームページの「掲示板」は、それが原因となって子供同士の殺人事件にまで発展してしまったことで、多くの人たちの知るところとなった。大人のネットの世界でのお付き合いは、親しそうでも、実はお互いに顔も名前も知らない同士であるのが普通だ。一方的に終わりにされてもどうしようもない、かなり「はかないもの」なのである。私のホームページに掲示板を設置するよう、熱心に勧めてくださった方の掲示板も今はお休み中である。
私の「お気に入り」から消えたサイトの一つに、サラリーマンの「歯に衣着せぬ」ハイレベルの時評、世評を展開するサイトがあった。時としてかなりハードな意見や表現もあって、それを私は「痛快」と感じていたけれど、反論も多かったのかもしれない。いわゆる「掲示板荒らし」にも見舞われたようで、とうとう閉鎖されてしまったのは残念だった。
この方の場合はある程度「素性の知れる」ケースではあったけれど、反論したり「かき回したり」する側は、素性も明かさないことが多いのだろうから、こうなると、「ネットは双方向」とも言い難い。
大流行の「画像掲示板」は、往々にして「作品の発表場所」となることが多い。写真専門サイトの画像掲示板には、腕自慢の写真家が集まり、「見て、見て・・・」というわけである。管理者は、それぞれに丁寧なコメントをつける。
暇な人には楽しい作業だろうけれど、現役世代の管理者の場合、昼間は仕事、夜は投稿されたものに対するコメント書き、となると肝心の自分の作品の整理の暇もなかろうと思う。
えてして掲示板でのやり取りは「お世辞の言い合い」になり勝ちだから、あまり「得るもの」もない、しばらく休もうか、というところに落ち着くのだろう。
投稿もせず、人様の写真のデータで勉強させていただいたり、「見るだけ」で楽しむ者にはまことに残念なことである。と同時に「掲示板」運営の難しさを知ることになる。掲示板に他の人を中傷するような記事を載せられ、嫌気がさしてやめてしまった方は、「追われているものから解放された気持ち」とおっしゃる。時には、「返事を書く」ことを、負担に感じられたのだろう。
顔が見えないから何でも書いてしまうというのも問題である。顔が見えないからこそ、相手を思いやる気持ちが大事だろうに。ネットの世界の片隅に身を置いてみて、この世界も人さまざまであるとつくづく思う。
おかげさまで、良識ある訪問者に支えられ、何事もなく今日まで続けてこられた私は、幸せである。
ちょっとはかないけれど、楽しい交流もできる掲示板の利用に際しては、「エチケット」が必要なのは言うまでもないが、「ネチケット」なる新語のあることを考えると、少なからず問題を含んでいるのも確かなことのようである。心して運営に当たりたいと思っている。