敬 老 の 日  

 

09’9’27
 何歳からを「高齢者」と言うのかが話題になったことがあった。 お上が75歳以上を「後期高齢者」と名づけたときには国中にブーイングが満ちた。 なんだかんだと言っていたが、先日歯科の領収書を見たら、「費用区分欄」には、しっかり「後期高齢者」となっていた。 「後期高齢者医療保険」である。 新政権になって、この制度も見直されるようではあるが、私自身は、70歳になればどう考えても「年寄り」だと思っている。

 9月21日は「敬老の日」だった。 最近の祝日は日にちで決まるわけではなく、○月の第○月曜日と言う決め方もするから月曜日になることも多い。 祝日の意義もヘッタクレもなく、要は休みが続けばよろしいと言うわけである。
 わが羽村市でも、この敬老の日には市の主催で敬老会がある。 ご他聞にもれず、年寄りが多いから、この敬老会が、なんと4回に分けて行われる。 式典と、歌謡ショーがあり、今年は園マリさんと冠二郎さんが出演とあった。 無料の送迎バスも運行されている。 招待状が届いた後、新型インフルエンザが流行の拡大を続けていることへの配慮で、追伸の葉書も届いていた。 「風邪気味の人は出席をご遠慮ください。 基礎疾患のある方はマスクの着用をお願いいたします」と言うものだった。
 この招待状が、今年は72歳以上の人に送られたが、いずれは75歳以上になると聞いた。 ことほど左様に年寄りが多いのだ。

 今から5年前、つまり私が70歳になったとき、市からお祝い金が届いた。 地域担当の民生委員が届けてくださり、領収の判を突いたのが、いかにもお役所らしくておかしかった。 70を過ぎると、毎年お祝い金が届くと聞いていたのだが、私自身がその年になったときには、制度が変わっていた。 今は対象が77歳の喜寿、88歳の米寿になったようだ。 70歳は「古来稀」どころか、珍しくもなんともない年齢になったのである。
 何しろ100歳以上が15名。 99歳が10名。 88歳が131名、77歳は381名、と言う、住民数5万7千何がしかの羽村市である。  

 さて、その敬老会当日、私自身は敬老会に行く気はなかったが、記念品だけいただいてこようと思っていた。 以前、記念品のお菓子にカビが生えていたという事故があって以来、記念品が商品券になった。
 交換に行った娘のお小遣いになったり、昨年は友達が一緒にもらって来てくれたりしたが、まだ自分で行ったことはなかった。 会場付近は混雑するので「車でのご来場はご遠慮ください」とあったことだし、往復1時間見れば行けるかと考え、今年はウォーキングを兼ねて行ってこようと思っていた。

会場付近では警官や安全協会の人やそろいのジャンパー姿のスタッフの皆さんが、そろそろその時刻になる2回目の公演終了に備えているようだった。 大勢で出てこられては大変と、私も急いで表に回ると、玄関前のテーブルに「記念品交換のみの方」と書かれていたので、そこで、招待状と交換で白い角封筒をいただいて帰ってきた。 戻ってきた私に警備の人が「もう終わったのですか?」と尋ねてきた。

 表通りには2台だったか3台だったか、大きな観光バスが停まっていた。
 式典は初回のみだが、歌謡ショーは4回あるわけだ。 大ホールが満席になれば小ホールのスクリーンで生中継を見ることになると言う。
 記念品は500円の商品券だが、何しろ数が多い。 お祝い金もある。 毎年敬老会のためにかなりの経費がかかっていることを実感した。 

 実際問題として、年寄りが多くなるのは大変なことだと思う。 勤勉な若者世代が多くて、しっかり支えてくれるわけではない。 子供は少なく、国民年金も保険料未払いの若者が多いと聞く。
 年金は支払わなくてはならないし、クレームはつけるけれど、生産性をあまり期待できない年寄りばかりが増えて、自治体の財政を圧迫しているとも言えそうである。
 あまり長生きされても困るのが実情なのかもしれないが、年を取っても元気で働きたい人は多いだろうに、その「場」がないのだ。 
 「健康で生きがいのある生活が送れるまちづくり」をいっそう進めると言われる市長の手腕に期待しておくことにしよう。  

 敬老会の私の地域の参加予定の回に、近所のお年寄りが出かけたかどうかは聞いていないが、私はミニシクラメンや、クジャクサボテンの植え替えに励んでいた。
 今のところ、「健康で生きがいのある生活」だけは、どうやら送れているようである。

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