08’7’26
そもそも、私が携帯電話を持つようになったのは、心不全を起こした娘の容態が思わしくなかったとき、病院から「必ず連絡がつくようにしておいてほしい」と言われ、すでに携帯電話を持っていた息子が、「俺たちに連絡が来ても、肝心の母親に連絡がつかないのでは困る」と言って用意したものだった。
幸いなことに「唯一のメリットは“若さ”です」と言われていた娘も、若さに物を言わせて快方に向かい、病院からの緊急連絡に使うことはなく終わった。 しかし、健康に自信をなくしたのか、娘は、私に直接連絡がつかなくなることを嫌がり、私の携帯電話は解約できないまま「お守り」として持つことになってしまった。 近頃では、「不携帯電話」になっていることが多い。
しかし、こんな電話でもあってよかった、と思うことが次第に増えてきた。
旅行の幹事をしたときのことである。 空港で、「搭乗口に変更のあった場合に、幹事さんに連絡したいので、携帯の番号を教えてください」と言われたことがあった。
めったに使わない携帯電話の番号など覚えていないから、表示して見せたが、人前に出すには少々気恥ずかしい骨董品だ。
最近では、車の修理に関して、相談したいときには電話で・・・と修理担当の人に言われ、その日は外に出ている時間が多かったので、やむを得ず、またこの骨董品を持ち出す羽目になったが、十分役には立ったのである。
人と待ち合わせる場合なども、相手の番号を聞いておけばよかった、と思うこともあり、外で具合が悪くなったときには自分で救急車が呼べる、と思ったり、サービス終了の通告に、「買い替え」を考えるようになった。
骨董品でもかまわないのだが、むき出しのボタンが、バッグの中に入れて持ち歩いていると、押されて、なにやら訳の分からない具合になっていたり、ボタン操作ができないようにしておくと、そんなときに限ってよそからかかってきて、解除に手間取ってあせることになるのだった。 それに、今まであまり考えもせずにいたのだが、新しい方が基本料金が低価格になりそうなことも、買い替える気に弾みをつけた。
ネットで調べて買い替えを検討した。 通告してきた会社からもそこに抜かりはなく、買い替え対象の機種を何種類か紹介してきたり、特典を並べたりしてきていた。
私が携帯電話に求める機能は、電話機能と多少の情報が得られれば、と言うところなのだが、これが思うようにならない。
メール機能は、私には不要である。 何しろ携帯メールは50音図の「オ段」を表示するには、ボタンを5回押さなくてはならない。 「バネ指」の罹患歴がある私は、今でも時々指が「引っかかる」ことがあるので、あまり親指を使うことはしたくない。 メールはパソコンで打つほうが安心だし、早い。
カメラ機能も、私の場合は「コンデジ」をほとんど「常時携帯」しているので必要はない。
検討の結果、別会社の高齢者を対象にした機種が使いよさそうに思えた。 電話帳に登録するにしても何十人もいるわけではないから、大きな字で見つけやすい方が良い。
第3世代だか、第4世代だか、最新の高級機種は4〜5万円以上もするのにもびっくりした。 私の選んだものは、カメラ機能もなく、最低限の機能しかないものだが、キャンペーン中とかで意外に安く買い替えられた。 とは言うものの、ただでもらえた時代を思うと、「今は昔」の感がある。 アンテナもなく、使いやすく改良されていることは言うまでもないことだった。
電話機能はすぐ使えるようになったが、「少々の情報」を得るのには問題ありだ。 「1週間のお試し期間」があるので、いろいろやってみたが、「少々の情報」も有料だし、詳細を知ろうとすれば追加料金が必要になる。 さらに、表示に時間はかかるし、狭い画面に出る文字は読みにくい。
しかし、インターネットに接続することもできるから、暇なら結構楽しめる小さな画面ともなる。
若い人が年中いじっている理由が少しわかったような気がする。 パソコンには中毒性があると感じているが、大きさが手ごろな携帯電話では、なおさら強い中毒性がありそうだ。
「お試し期間」も終わるが、「ちょっとした情報」をどうするか、考え中である。 なんとなく、手にとって用もないのに見たりしそうである。
そう頻繁には使わないと思うので、年寄り対象の料金設定にしてあるのだが、安く設定されている基本料金だけを払い続けるつもりのほうが、やはり安全というものかもしれない。 とは言うものの、新しい携帯電話を手に、なんとなくうれしい気分になっている単純な私である。