登山との決別


03’7’26
 「Mさん、今年はどちらへ」と、私は尋ねた。「今年は近ツリのツアーを利用して『雲ノ平』へ行くつもりなの」との答え。つまり、近畿日本ツーリストのツアーに、北アルプスの『雲ノ平』に行くものがあって、それに申し込むと言うわけだ。ハイキングクラブの活動日に、渓谷沿いの道を歩きながらの会話である。
 私が親しい山仲間三、四人で夏山を楽しむようになってから、かれこれ三十年経つ。北アルプスの『雲ノ平』は、行きたいと思いながらもまだ行けない場所の一つである。それは、どう考えても四泊五日かけないと行けないということがネックになっているのだ。家庭の主婦が山に行くのは容易なことではなかったし、家が空けられるようになってきたら、今度は体力的に、それだけの日数を歩き続けられる自信がなくなっている。Mさんはまだ五十代で若いし、ご夫婦での行動なのでその点羨ましい。定年後、山を始められたご夫君は「もっと早く始めればよかった」と言われているという。
槍ヶ岳山頂で、昔の私

 『雲ノ平』への行程は、富山から入るのはかなりのきつさになるし、夜行バスの利用を避けようとすると更に一泊多くなる。それで、岐阜側から双六岳経由で入り、富山に下るコースを考えてはいた。Mさんの参加予定のツアーは富山から登り富山に下るという。この登り五時間あまりがハードなのだ。
 「私たちも行く?」と尋ねたが、いつもの仲間二人からのはかばかしい返事はない。行きたいと何年も話には出ていたのだけれど。Nさんは「五日はねえ」と言う。Yさんは「犬がね」とのこと。最近転居したマンションが「犬禁止」のため、朝になると愛犬を車で実家に連れて行き、夕方又迎えに行き、夜だけ「内緒で」家におくという生活をしている。もう老犬で、そんなにいつまでも生きてはいないと思うから、とのことだ。実家の兄嫁さんが「犬嫌い」で、預けっぱなしにはできないという事情があるらしい。
 ここに至って鈍感な私にもピンと来るものがあった。そうなのだ。二人とも、もう北アルプスや南アルプスといったハードな山は卒業してもいい心境なのだ。もう古稀目前なのだから当然と言えば当然である。
鹿島槍山頂で、去年の私

 この春、「行きたいね」という話で、甲武信岳への計画を立てたが、いざとなると返事がなく、天気の悪いこともあって行かずじまいになった。
 考えてみれば、一昨年はNさんのご夫君が病気で、あまり気のないYさんを説き伏せて北穂に登った。昨年はYさんが「親戚に重篤な病人がいる」とキャンセルしたので、Nさんと鹿島槍に登ってきた。「親戚の病人」を理由に、行かないYさんを、Nさんといぶかしく思ったものだが、Yさんは勝気だから、「自信がない」とは言えなかったのだろう。「こう」と思えばてこでも動かず、我々をはらはらさせることさえある人なのだ。
 Nさんはご夫君も他界され、息子さんも最近結婚し、一人暮らしなので一番身軽なわけだが、最愛のご家族に引き続いて去られ、なんとなく「やる気」がそがれているのかもしれなかった。私より少しだけ若い人たちだけど、何年か前に「あなたの体調が悪いくらいでちょうどいいわ」と言われたことを思い出して苦笑した。私が「一番元気」ということらしい。時としてそれが迷惑だったのだろう。
 「山はそろそろタイムリミットだから」とここ何年か言い続けている私だが、いよいよ現実味を帯びてきた。単独行はやはり危険だと思うし、最近は山小屋で自分より年上の人はいないなと思うことがしばしばだった。
 Nさんは「秋には尾瀬に行こう」という。Yさんはともかく、Nさんは尾瀬程度のところには行く気があるとみた。私ももう「山を選ぶ」方がいいのは確かだろう。今がいいチャンスなのかもしれない。六十代最後のこの夏は、最後の記念としてもしっかり登っておきたい気がしないでもないが、この年まで元気に登れたのだから十分とも思う。三千メートル級の山はついに「登るもの」から「眺めるもの」に変わるのだ。大げさに言えば「登山との決別」ということである。
 『雲ノ平』の話は、Mさんから聞くにとどまる可能性が高くなった。            

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