04’4’8渡良瀬遊水地で行われた「熱気球大会」の模様をテレビで見て、遠い日のことを思い出していた。
幼児期の私は、熱気球に妙に引かれていた。 最初に熱気球を知ったのは、6歳離れたすぐ上の兄がやっていた「写し絵」だったと思う。昔の「写し絵」は白い幕がかかったように見える小さな絵を紙に逆さに張って、裏から水でぬらしながら少しずつはがしていき、絵だけを残すというもので、子供にはかなりの難しさだった。 絵がずれることもなく写せると、当時としては「目を見張るような」鮮やかな色彩の絵が残る。 シールをぺたぺた貼るような手軽さではなく、水を入れたコップを傍らに、粘り強く、根気よくやらなくてはうまくいかない。
息を詰めて兄の手元を見ていた小さな私の目には、写し絵の熱気球が強く印象付けられたのだろう。 その後、熱気球がいくつも空に浮かんでいる絵を見た記憶がある。 それは本だったと思うのだが、それ以来、熱気球は「いつか見たいもの」になっていた。
子供の頃、家の近所に原っぱがあって、そこではクローバーの花で首飾りを作ったり、オオバコの花で「相撲」をとったりしてよく遊んでいた。 夏の夕方にはトンボつりの子供が集まる場所でもあった。
去年の気球は緑色 私はその原っぱに熱気球がいくつも浮かんでいるのを見たのである。 正確に言えば、私は見たと信じていたのである。 それが事実だったのか夢だったのか考えることもなく・・・。
小さかった私が熱気球を見たと話すのを、年の離れた兄達も「うんうん」と聞いてくれたので、私の頭の中に「原っぱの熱気球」は事実として定着してしまっていた。
学校に行くようになっても、私は「熱気球を見た」と信じていた。 しかし、それをだれにも話したことはなかったから、何となく「?」と思い始めていたのかもしれない。 原っぱの広さが考えられる年齢になれば、いくらなんでもあの原っぱで、「熱気球大会」があったとは思わなくなる。
戦争がまさに始まろうという時代である。 日本国内で、熱気球を操る人がいたとは考えにくい。長くも、また楽しい夢を見ていたなぁと思う。
近年、私の住む羽村市の「チューリップまつり」でも、休日には熱気球が登場して、上からチューリップを見るというイベントが人気だ。 これは空高く上がるわけではないし、一つだけだけれど、私にとってはどんな熱気球も懐かしい。幼かった日に「見た」熱気球大会を、渡良瀬遊水地に行けば見られる。 一度見たい気はするのだが、テレビで見る限り、私が「見た」熱気球大会と全く同じなのだ。
熱気球を見ると、小さな頃の自分自身が何ともいとおしく思えてくるのである。