07’2’14
飛んでいるところを撮るには、もう少し望遠のきくレンズがほしいと思ったが、とりあえず、大きくは撮れないけれど「テブレ補正機能」のあるレンズをつけ、シャッタースピードを早めに設定して写してきた。 9時前に着いたこの日は、餌場に次々と飛んでくる白鳥を撮る事ができ、自分としては、一応の満足が得られた。
息子は「少し小さいね」と言うし、私自身ももう少し大きく撮りたいとは思った。 せめて300ミリのレンズなら・・・と思う。 しかし、望遠レンズを必要とする機会があまりない私だから、踏ん切りがつかない。 レンズは私にとっては、安い買い物ではないのである。
ネット上で、私がその腕と感性を尊敬して止まないM氏のサイトを過去にさかのぼって見ると、「70mm〜300mm」のレンズを、広範囲の作品で使われている。 これだけ使えるなら思い切って買うかなと思った。 レンズを選ぶときの判断基準は、もちろん価格もあるし、機能はいうまでもないが、更に「目方」が大きな要素になる。 飛んでいる鳥を追いかけようと言うのだから、当然手持ちだ。 重くては困る。 「実売価格」も調べ、「ほかに贅沢をすることもないのだから」と、やっと入手したのは夏だった。
そもそも白鳥を撮りたくて手に入れたレンズで、多摩川のカワウで練習をしたりしたものの、なかなか白鳥に使う機会が来ない。 8時半頃までに行けば「よく飛んでいる」と聞くが、その時間に荒川にいるには7時には家を出なくてはならない。 真冬に出かけるのにはかなりの心構えが必要だ。 もっとも、行く先によっては5時に家を出ることもいとわないのだからおかしな話である。
今シーズンは昨年暮れに初めて出かけたが、着いたのが餌付け時間直前では、賢い鳥たちはもう集まって「餌さ待ち」の態勢だ。 やむを得ず、「白鳥一家」に狙いを変えて、親子のほほえましい様子を狙うことにした。 これはこれで楽しかったし、「300ミリ」もしっかり使ってきた。
金色の朝日の中で羽ばたく幻想的な白鳥の姿を撮られる方があって、それをうらやましく眺めているうちにもう一度行ってみようと思い立った。 そこで、先週末でかけたのだが、わずかに2グループが飛来するのに間に合っただけだった。 これでは「高速代」がもったいないと、帰りは一般道を2時間近くかけて帰ってきた。
今年は暖冬の影響か、折りしも始まった河川工事の影響か飛来数が少ない。 一般道を走るのもまた、それなりに面白かったし、高速代をかけなければ「悔しさ」の少ないのも事実だ。
ゆっくり帰ってきながら、ここまで来なくてももっと手近なところに目を向けるべきではないのかと考えていた。 白鳥の習性を知るほど通わなくてはやはり思うような写真は撮れないだろうし、それは私には無理というもの。 そこまでの熱意はないようだ。 逆立ちしても「家から10分」の人には敵わない。
我が家の目の前には多摩川もあり、上流、下流にそれぞれ被写体になる場所も、ものもあるのだから、白鳥は卒業してもいいのではないかと思った。 ここでやめれば、卒業ではなくて中途退学になるけれども、そう意地になることもあるまい。
人間はとかく「ないものねだり」をするものだから、目の前にいる白鷺や小鳥には目が行かず、白鳥を追いかけてしまう。 白鳥の方が大きいし、動作もゆっくりなので、白鷺よりは狙いやすいということもある。 多摩川支流の残堀川に小鷺の群がいたことも思い出していた。
白鳥は皆さんの素晴らしい作品で楽しむことにして、私は近くに目を向けることにしようかと思い始めたのは、進歩なのか諦めなのか。 しかし、御年72歳の私には妥当な判断なのかもしれない。