今年の寒さ

 
06’2’11
 今年の冬は寒いと誰もが言う。 私は、「そんなに寒いかな」、と思いながら聞いていた。
 同年輩の友達も今年は寒いと言う。 「でも私たちの子育てのころはもっと寒くなかった」、と聞けば、「あの頃は寒かったわね」、と返事が返ってくる。

 赤ん坊を背負い、「亀の子半天」だか「亀の甲半天」だかを着ただけで、洗濯物を干す。 紙オムツもなく、オムツ用に可愛い絵柄のプリントされた生地が出回ったのが目新しい時代だった。 そのオムツを冬の朝干すのはなかなか厳しい仕事である。 干すそばから板状に凍っていく。 背中の子供も寒かったのだろうが、昔の子供は母親の背中にいるとおとなしかった。 子供たちが丈夫に育ったのは、この背中での鍛錬が役に立ったのかもしれない。

 その頃の寒さを思えば、この冬が特に寒いとは私には思えなかったのである。
 「あの頃はお風呂場の窓にきれいな模様ができたわねぇ」、と友達も言う。 台所の水道が凍って昼まで水が出ないこともさほど珍しいことではなかった。 細く水を出しておいたり、湯沸かし器の水を抜いておくのが冬の夜の日課だった。 瞬間湯沸かし器が出始めた頃である。
 今年は水道が凍りかかったことは何度もあったけれど、凍って昼まで出ないということはなかった。 
 

 たまたま夕方の気象情報で、今年は寒いが、それは、この10年間を比較しての話で、30年前はもっと寒かったと解説していた。 そうなのだと、はっと気づいた。 私には子育て時代がそんなに昔と言う感覚がなかったのである。
  30年どころではない。 子供たちはみな40代になっているのだから。 その時代の寒さを体験した人も今や少数派になったのだ。 改めて自分の年を考えてしまった。
 年をとるということは、同じ考えの人が減ることだ、と聞いたことがあるが、同じ体験をした人も減るばかりである。 同じ体験をしながら、忘れてしまっている人も増えているのが現実だ。

 なんだか、この冬の寒さのおかげで、自分の年を改めてしっかり認識させられたような気がしている。
 「年寄りの冷や水」にならないように気をつけて行動するように、との天の声と思うことにした私である。 


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