講 演 会 

    

12’2’13
 「冒険家」であり「写真家」でもある石川直樹さんの講演会に行った。 「冒険家」と評されることには違和感を感じるとおっしゃる三十四歳の青年である。
 高校二年生の時に、インド・ネパールへ一人旅をしたのが始まりで、以来「旅」の生活だと言う。

 北極から南極まで、土の上は自転車、雪の上はスキー、水の上はヨットでと、人力で踏破する国際プロジェクトに参加したり、その翌年には七大陸最高峰登頂に成功したり、世界を歩き続けながら作品を発表している人だ。
 エべレストにも二回登頂している。 ちょうど前日にNHKの「エべレスト 世界最高峰へ挑む」と言う番組で、エべレストにカメラマンが挑む番組を見たばかりだったので、特に興味深く聞いた。
エベレスト

 その中で、「同じく頂上アタックのグループがいる」と話していたのが石川さんたちだったのかもしれない。 石川さんも講演の中で、「NHKの人たちに会い、秋刀魚の蒲焼の缶詰とアルファ米の袋をもらって元気になった」と話されていた。
 撮ってこられた写真を舞台上のスクリーンに再生しながら、何の気負いもなく、その時々の様子を淡々と話される。 エベレストで遭難して、収容することもできない遺体がそのまま放置されている話は、聞く者にとっては非常に生々しく、ショッキングなことだった。

 「質疑応答」では、先ず、親御さんの反対はなかったのかと。 十七歳でインド・ネパールへの一人旅に出ようと思ったときには、当然親御さんは心配され、「治安の良いシンガポールへ」と言われたらしい。 石川さんは「シンガポールへ行く」と、「一度だけ嘘をついて」、インド・ネパールへ向かわれた由。
 母上は、国内でもまだ飛行機に乗られたことのない方だそうだから、息子さんの行動にはもはや着いて行けないと思われたことだろう。

 「資金調達の方法は・・・」との質問には、アルバイト以外にも、「戻ったら記事にするから・・・」と、「押しの一手」でたくさんの会社を回ったり、「帰ったら本にして御社から刊行するから」と、講談社からも資金を調達したとのことで、やはり、その度胸は並外れているようだ。 「どこの馬の骨か分からない若造」に、協力してくれる会社もあったらしい。
エベレスト

写真集でも、文筆活動でも多くの受賞をされているし、その行動力には感心させられる。 今は、数多くの写真集や本の出版などで、資金も潤沢なのかもしれないが・・・。 

 エべレストに登って、「必要なのは体力ではなく、精神力と好奇心と感じた」と話されたのは分る気がした。 
 その行動力には脱帽だが、どこにいても「旅に出ている」という感覚ではないらしい。  「知らない世界を見に行きたい好奇心」が、行動の原動力になっているという。

 エベレストの頂上アタックの途中で、雲海に影を落とすエベレストはきれいな三角だったそうだ。 スクリーンにもしっかりと三角形のエベレストの影が映し出されていた。 それは驚きでもあったらしい。 「見る角度によって形が変わる」。 それは当然と言えば当然だが、「隣のローツェからエベレストを見たい」と思ったことが、今年のローツェを目指す行動につながっていくのだから、その「好奇心」たるや、常人のものではない。 昔、北岳の肩から、鳳凰三山を眺め、次はあの山に登ろうと決めた私とは、スケールの規模があまりにも違いすぎる。
エベレストとローツェ

 超低温域では、カメラのバッテリーはすぐ消耗してしまうし、充電するのは太陽パネルを使っても大変なので、電気の要らないカメラを使うとか、バッテリーを着ているダウンの中に入れて暖めながら、撮るときだけカメラに入れるとか、フィルムがバリバリに凍る話とか、知らないことをいろいろ聞けて面白かった。

 「精神力と好奇心」。  最も胸に響いた言葉だった。  最近「やる気」が無くなったと感じている私自身にはいささか耳の痛い言葉でもあったが、年をとってもそれは忘れたくないことである。
ローツェ

 最後に司会者が、「命をどうぞ大事にして・・・」と挨拶された。 前途洋洋たる若い方のことだ。 これからの活躍を楽しみに、そして期待して行きたいと思ったことだった。
 とりあえずは、間もなく出発されるローツェ登頂を無事果たされた後の「お土産」が楽しみである。
 ヒマラヤ山群の中では、山容の険しくも美しいローツェが一番好きな私には、まるで夢の世界の話である。 何だか元気の出た講演会だった。    (写真はNHKテレビより)    

[目次に戻る]