09’6’13
改めて七十五歳と言う年齢を考えさせられた。
私の家系はあまり長命ではないので、私は七十五歳まで生きられたらうれしいと思って生きてきた。 その七十五歳になったのだから、これからは「おまけの人生」である。
家族運にはあまり恵まれない私だが、おかげさまで健康には恵まれて、医者には縁がないとまでは言えないものの、年齢の割には元気に暮らしている方だろう。
今年は運転免許更新の年でもある。 年明け早々に、「免許更新のための講習のお知らせ」が届いた。 七十歳以上になると、免許更新のつど、「高齢者講習」を受けなければならない。 この「高齢者講習」にはいくつかの種類があって、誕生日の五ヶ月前から受けられるものもあるので、六月が誕生月の私には、年明け早々のお知らせとなったのである。
それまでの更新時の講習と違って、一時間の勉強、シュミレーション器材による検査一時間、それに実技と、三時間の講習である。 器材を使っての検査は、ゲームセンターにでも行った気分で結構面白い。 次回の更新からは、これに「認知症検査」も加わることになる。 更に、同じ「一時停止違反」をしても、これからは認知症と関連付けて考えられてしまうと言うわけだ。
五月になって、「運転免許更新のお知らせ」が来た。 これは誰にでも来るものではあるが、内容はそれぞれである。 「高齢者講習」を受けてからと「赤字」で記載されている。 「高齢運転者標識の表示が義務化されました」ともある。 これは保留されたのではないのかと思っていたが、七十五歳以上には義務化されているらしい。 つけていなくても違反金はないと言うことだったかもしれない。 ここでもしっかりと「七十五歳」を意識させられた。 「紅葉マーク」も早急に購入してつけることにしよう。 周囲が「年寄りの運転する危険な車」と認識してくれれば、むしろ安全というものだ。
このところ、なんだか急に「先が短い」事に気づかされたような感じである。 はかどらない家の中の片付けも、もっとピッチをあげなくてはならない。 確かに最近は何をしても疲れが残るし、馬力もなくなったし、「まぁいいか」と気力もなくなってきている。
七十五歳は一つの区切りかもしれないとは思う。 しかし、周りから寄ってたかって「年を意識させられた」と言う思いもぬぐいきれない。 お役所の「後期高齢者対策」の狙いでもあるまいが、先の短いのは確かなのだから、毎日をきちんと無駄なく使わなくては、と思う。
「後期高齢者」には、のんびりしている余裕はないと言うことである。 深く考えもせずに生きてきたが、しっかり歳を意識させられたことを感謝すべきなのかもしれない。