09’8’30
四年前、仲間三人で、西穂に行った。 「誰でも行ける」と言われる独標へ登る段になって、連れの二人が、「下で待っているから」と言い出した。 最近、かつて程の気力体力をなくしているのは明らかだったし、ひざにも故障を抱えていることだから無理強いはできない。
その日は西穂山荘に泊まり、翌日焼岳七合目の「展望台」まで登った後、上高地へ下る道中で、私はかなりへばっていた。 こんなに足が重いのは初めてと思いながら、前を行く二人にやっとついていった。 「山も限界」と思わざるを得なかった。
連れの二人も口には出さなくても同じ思いだったとみえて、その後、山へ行く話はすっかり減ってしまった。
先日のことだった。 「今年は雲取へでも行こうか」と言う話になった。 私は三峰側から登ってみたいと思い、地図を広げてコースの検討に入った。 しかし、コースタイムも地図にある「標準タイム」ではもう歩けないだろうし、三割り増しくらいに考えて、さらに休憩時間を取ると、時間ばかりかかってしまう。 やはりこのコースは無理かなと思っていた。
立ち消えかと諦めかけていたところに、思いがけず、鴨沢から登る話になって出てきた。 あまり自信はないけれど「雲取ぐらいには行きたい」と思った。 今度の計画は、鴨沢から登って、大ダワから日原に下るというものだ。
ハイキングクラブの仲間にも行きたい人がいて、総勢六人で出かける話が、とんとん拍子に決まり、八月の二十七・二十八日を使い、雲取山に登ることになった。 気心の知れた六人の内訳は、六十代三人、七十代三人という豪華さ!である。 私は最年長、一番若い二人とは十歳の差がある。
登りは、七十代では一番の若手のYさんの足がつるというアクシデントのおかげで?休憩時間が長くなり、比較的楽だった。 それでも最後の山頂から雲取山荘に下る三十分は大変長く思えたし、足元が頼りなかった。
久しぶりの山なので、怪我をしては困ると、草花丘陵で一応の足慣らしをしてはいたが、それも一度だけと言うのが気になっていた。
山小屋では二部屋をもらえたので、若手と年寄りに分れて向かい合う部屋にゆったりと泊まることができた。 夕食後は一緒におしゃべりなどと言っていたのに、「若手」は九時の消灯時間を待たず、七時過ぎには「爆睡」だった由。 こちらは全員「うとうと寝」だったと言うのも年の差か。
大ダワ回りは時間がかかるし、もう一度あの景色を見たいと、来た道を戻ることにした。 前日の山頂からの下りにげっそりしていたので、あれを登るよりも巻き道をと言う声もあったが、「朝の山頂に立たなくては」と、結局全員登ることにした。
そこここに咲く苔の花が、朝日の中でとてもきれいだった。 「滑りそうな下りよりは気が楽ね」と言いながら登った山頂のすがすがしい空気に、寝不足気味の頭もすっきりした。
雲取山の山頂には一等三角点とともに、確認できているのは三ヶ所だけと言う「原三角点」がある。
帰りはきれいな富士山を横に見ながらの下りである。 下るにつれて、さえぎるもののなかった富士山の前にカラマツやマルバダケブキの花が重なるようになる。 九時を過ぎると富士山も雲をまといはじめ、かすんで来る。
行きは登りで大変でも「希望」があるが、帰りは下りでも「気が抜けた状態」になるので、気持ちを引き締めないと危ない。 疲れもあるから、つまずいたりしやすいのだ。
同じコースも反対側から見る風景はまるで違う。 時々「ここまで来たか」と登りの記憶が蘇る。
「どんどん下っちゃうねぇ」と話しながら歩く。 長い下りに足の指先が痛くなる。 「今回は筋肉痛になりそう」と七十代の一人。 足も口も快調の人がいるのに、私はバテバテ。 筋肉痛は私も「予約済み」に違いない。
「急登も大きなカメラを抱えたままだし、撮りながらすぐ追いついてくるのだからすごい」とか「一番元気」とか言われるが、とんでもない。 構えたカメラも傾いているし、口をきく元気もない。
道標に「鴨沢バス停」が登場して、残念ながら山との別れが近づいてくる。
鴨沢バス停への近道の急な階段をおりかけて、先頭のYさんが躊躇する。 「坂道を回った方が楽でしょ」と思わず言う。 階段を下りるのを躊躇するほど足に来ているのだ。
前日バス停で出会った近所の人だったのだろうか、坂を上がってきた奥さんが「雲取まで行ったのですか」と聞きながら、あきれたように笑っていた。
朝五時半に朝食。 六時半に山小屋を出発。 途中で早めの昼食をとり、道中休み休み、十四時三分発のバスにちょうど良いタイミングだった。
「今度は孫と来よう」と六十代の一人。 元気なものだ。 十歳の差は大きいとため息が出る。 「秋にも来る?」とYさん。 「カラマツが金色に黄葉し、富士山が冠雪し、真っ青な空で・・・」、「絵になるなぁ」と思う。 さっき、「雲取もこれが最後だろう」と思ったばかりだというのに、「普段からもっと山歩きをしていれば、これほどには疲れまい」と思い始めている。
予約済みと思われた「筋肉痛」も、心配したほどでなかったのは幸いなことだったし、同時に多少の希望を私にもたらしたのだった。
私は、どうも「懲りない人間」のようである。