ク ラ ス 会 

09’3’30
 大学時代のクラス会に今年も出席できた。 お互い、時間に余裕のある歳になって以来、毎年開かれている。
 卒業時、四十数名いたクラスメートのうち、連絡の取れるのが三十五名とのことだ。 卒業後五十年ともなると、行方不明者もいれば、鬼籍に入る人もいて、この一年間にも三人の訃報に接している。 七十代半ばとはそういう年頃なのである。

 今回の出席者は十九名。 出席率としては良い方かもしれない。
 家人の介護で出席できなかった人が出てこられるようになる一方では、本人が「少し変なのよ」と言う例もあって、五十年前、同じスタートラインについた仲間にも、大きな差のでる七十代である。

 出席できる人たちは、それなりに元気なわけで、それぞれの「一言」がまた面白い。 時間をもてあましている人もいれば、「まだ現役です」と胸を張る人の横では、「周囲がどう思っているか」と茶々も入ると言う具合である。
会場からガラス越しの風景(隅田川と飛行船)

 「自慢話を聞きたくない」との理由で出てこない人もいるとは聞くが、それは「取りよう」だろう。 もちろん「過去の栄光?」を引きずったまま、「ただのジジババ」にはなれない人もいるようだが、それも時間の問題だ。 去年の勢いはどこへやら、「物忘れが多くなって」の愚痴に変わってくる。

 老後の過ごし方について、「何か趣味を持つことが必要」とは、よく言われることである。 それは確かだとつくづく思う。
 定年を迎え、「趣味に没頭できる」と楽しみに思う人と、「何をして時間をつぶそうか」と思案に暮れる人とでは、「生き方の質」がまるで違ってくるに違いない。
 定年後、急に趣味を持とうとしても、それはかなり難しいことかもしれない。 しかし、長寿社会である。 その気になれば、新しいことをはじめても十分間に合う。 五年続ければ、たいていのことは目鼻がつくものだ。
 シニアのカメラブームの背景も、そんなところだと思っている。 人間は本来、「自慢すること」が好きらしいから、仲間内での腕の競い合いも楽しめるだろうし、健康を保つ秘訣にもなって来るのだろう。
千鳥が淵
 

 クラス会が午後二時からなので、昨年は、午前中「上野の桜」を楽しみ、今年は、「千鳥が淵の桜」を楽しんだ。 どちらも、東京の「桜の名所」である。 このところ、寒い日が続き、千鳥が淵の桜は、まだ二〜三分咲きの状態ではあったが、満開に近い人出の中を、例によってカメラを持って歩きながら、結構楽しかった。 さらに、時間に余裕があったので、今年は浜松町駅隣接の「旧芝離宮恩賜庭園」の散策もできたのだった。
 会場が浜松町に近いことの利点を十二分に生かして、しっかり趣味も楽しんだ私だが、結果的には、クラス会での話題も増えると言うものだ。

 来年のクラス会でも、それぞれの「充実した日々の話」を聞きたいと思っている。
 四年間机を並べながら、あまり話す機会のなかったクラスメートとも、何の抵抗もなく話が弾み、「年を取るのも悪くはない」と思わせるクラス会だった。    

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