09’5’30
らちの明かぬ医者が心配になり、変えた先の病院で、「100パーセント、胆石の脱落です」と診断された。 胆石が胆嚢から出かかったり戻ったりの挙句に、胆管に引っかかると言う事態に見舞われたのだと言う事で、本来ならばその「悪の根源」である胆嚢を切除することになるのだろうが、そのときはすでに石が体外に排出された後と言うことだった。
すっきりしない体調に半ばやけになって山をがんがん歩いてきた後に、強烈な腹痛に襲われ、がたがた震えが来た時に、排出されたらしい。
将来、災いの元になる可能性が大きいと言われた胆嚢だが、「そのときはそのときのことにしよう」と、今も体内にある。 今のところ無事に来ているが、それ以来、動物性脂肪、甘味、水分に極端に弱くなった。 かてて加えて結構な胃下垂ときている。 八キロ減った体重もほとんど戻っていないので、標準体重に届かない薄っぺらな人間である。
「腹八分目の医者要らず」は、私のための言葉と思っているが、一度胃袋の調子が狂うと治るまでに時間がかかる。 「いい薬」の胃散を飲んでみたり、だましだまし働かせることになる。
これまでは、少し風邪気味でも、胃袋の不調でも、山を歩いてくると、嘘のように治るのが常だった。 私の体は「しっかり働け」と言う造りになっていると見えて、のんびり座っている生活は体調を崩す元になる。 忙しく動き回っているほうが調子がよいのだから情けない。
このところ、また少し調子を崩していた。 胃酸の逆流もあって、アルコールとコーヒーをストップし、飴玉にも手は出さない。 それでも、なかなかすっきりしないのは年のせいかと思わざるを得なかった。 さりとて、医者にかかるほどのこともないのである。
五月末にNさんと上高地へ行くことにしてあった。 日帰りのバスツアーだが、五千尺ロッジの「豪華弁当」の予約ができると言うので、それも予約しておいた。 「豪華弁当」では、たとえ揚げ物が入っていても、大丈夫だろうとは思うものの、それまでに胃袋の調子をすっきりさせておきたかった。
今年は、身の回りに不幸が多く、それもストレスになるのかもしれなかったし、足の筋をおかしくして、ハイキングクラブの山行を休んだことも「回復のチャンス」を失することにつながったのかもしれない。 山歩きで何でも治してきたのに、山に行けなくなっては困る。
上高地に行く日はあいにくの天気。 東京の予報は雨。 上高地は曇りで、午後三時には雨の予報。
山の天気は不思議なもので、標高の低いところよりも悪いとは限らない。 「行ってみないとわからない」のである。 しかし、日本列島、梅雨のはしりの如き状態では期待もできなかろうと、雨への備えはしっかりして出かけた。
お互い年だから無理はしないで、大正池ははしょって、河童橋で降り、明神池に行こうと予定していたのに、バスの添乗員の話を聞くと、大正池で降りたほうがよさそうである。 バスが大正池から河童橋近くの駐車場に入るまでの間で大渋滞することがあると言う。 それも時間の無駄だからと私たちも大正池で降り、そこで、注文してあった「豪華弁当」を受け取った。
着いたのが正午ころだったので、大正池の川原でお弁当を広げる人が多かったが、私たちは、五千尺ロッジのロビーが食事に使えると言うので、そこまで行くことにした。 一時間近くかかるのでお昼は遅くなるけれど、川原は寒いし、雨も気になるし、ちょっと休んでまた歩く方がいいからということにしたのだ。
「本当に豪華ね」と笑いながらロビーでお弁当を食べ、“から”も回収してもらった。 途中雨がぱらついたこともあったが、昼食後は空も明るくなり、一時は薄日も漏れて、私たちは結局、どこもはしょらず大正池から河童橋、更に明神池へも往復してしまった。 四時間という制限つきでも、まだ歩けるものだと、お互いに満足していた。
バスに戻り、お菓子も少し食べ、夕食用にサービスエリアで買ったパンも食べたが、胃もたれもせず、帰宅後も翌朝もなんと言うことはなかった。 珍しくすっきりしていた。 さすが、「山の魔力」である。
今も、『山は最高の薬』だった。 よかった。
今度調子が悪くなったら、そのときは「尾瀬を薬にしたい」と、内心にんまりしている私である。 (「山ある記」へもどうぞ)