03’9’26パンプスのヒールのゴムを替えてもらいに、駅前の靴屋に行った。何となく商品が少なくなった気がしたが、一週間後修理の終わった靴を取りに行ったときには、陳列棚は空で、閉店が明らかだった。いつになく狭い店内は込んでいて、挨拶もろくに出来なかった。
七十代の夫婦でやっている店だった。新しい靴を買うよりも、修理を頼むほうが多かった私だが、どこで買った靴でも嫌な顔をせず、丁寧に直してくれる主人で、奥さんもいつ会っても愛想よく挨拶をしてくれた。朝早くからシャッターのくぐり戸だけが開けてあって、「お急ぎの方はどうぞ」という気持ちが温かく伝わって来た。
この店には三十年ほど世話になっていた。駅向こうに大手のスーパーが出店したり、チェーン組織の靴屋も出来て、カラフルなチラシを新聞に折り込んできたりするようになって、商売が難しくなったのだろう。気の毒とは思いながらも、品揃えもよく、値段も安いとなれば、そちらへ客足が向くのは止むを得ないことである。もう一軒あった靴屋も、いつのまにかなくなってしまった。
各地で商店街が消えていく傾向だと言う。確かに、スーパーで品物をぽんぽんと籠に入れ、代金をまとめて払うというのは、忙しいときには早くて助かるし、小売店よりも安いのは事実だし、一箇所で用が足りるのも便利である。だが、人間同士のつながりは育たない。
若い人には良いかもしれないが、年寄りにはどうだろうかと思うことがある。私も今は元気で車にも乗り、少々店が遠くても苦にならないけれど、やがて車に乗れなくなったときのことを思うと不安だ。我家の近くにはあまり店がない。夫婦でこぢんまりとやっていたような店は、みんな姿を消している。
閉店して半月、靴屋の表にはこぎれいなサッシの引き戸が入り、普通の家の玄関に改装されていた。私はとりあえず、靴の修理をしてくれる店を探さなくてはならなくなった。これは、五年前に書いた文章である。駅向こうに出来た大手のスーパーも、チェーン組織の靴屋も今はない。世の中が不景気になって閉店してしまったのだ。当時、このあおりを受けて苦労しながらもどうにか生き延びた中規模のスーパーが、以前の状態に戻って元気になっている。商売の世界も「明日のことは分からない」ようである。