き ょ う だ い 会   

09’7’13
 お盆である。 例年通り、お寺での「山門大施餓鬼会」に出かけた。
 盆棚にはこの一年に亡くなられた新仏の白木のお位牌が飾られている。 今年は数の多さに驚いた。 その中には身内のお位牌二つも含まれているはずだが、大勢のお参りでの短い時間では見つけられなかった。 亡夫のすぐ上の兄と、同じ市内に住む甥の長男である。

 そういう年齢になったのだから仕方がないと言えばそれまでの話ではあるが、このところ“きょうだい”の不幸が続いた。 昨年は夫の実姉と兄嫁が相次いで亡くなった。 今年になっても、なぜか知人の不幸が続き、その合間には昨年亡くなった義姉の法事も入り、仏事の多い年初めだった。 ところが、今年はそれにとどまらず、その後、亡夫の実兄と実姉の死が相次いだのである。 更にそのわずかな合間には甥の若い長男の死までもが加わった。
 知り合いや近所にも不幸があったから、明けても暮れてもの仏事という印象になっていた。

 一昨年の四月末に、私自身、実兄を亡くしているので、この二年三ヶ月の間に、“きょうだい”と呼べる関係の人が五人も旅立ったのである。 私には現在、兄嫁二人が元気でいるが、亡夫の関係では、残っているのは私一人になってしまった。
 我が家は夫婦とも末っ子だから、一番若い私が最後の一人になるのは順当とも言えるが、こう立て続けにきょうだいの不幸がやってくると、結構落ち込む。
 葬儀の後の壇払いの会食の席で、年忌法要と忌明け法要が続いてしまうけれど都合がつくか・・・などと話が出る始末である。

 そんなさなかに迎えたのが今年のお盆だった。 たくさんの真新しいお位牌を見ていると、人間の命のはかなさを改めて思わされるのだった。

 昨年十月の初めに倒れ、以来意識の戻らぬままの友達がいる。 特別に元気でマラソンなどを続けていた人なのでにわかには信じられない出来事だった。
 その彼女が倒れたときには元気でぴんぴんしていた人が、何人もその後に亡くなっている。 彼女の現状は「生きている」とはいい難い面があるものの、とにかく命は保たれている。 まったく人の運命とは分からぬものである。

 先日亡くなった義姉も、夕飯を済ませ、遅くまでテレビを見て、床についてから間もなく亡くなったらしい。 八十二歳だった。 人生の幕の引き方としては理想に近いのかもしれないが、人の命のあっけなさを感じることである。

 亡くなったとの知らせに庭の花を切って持って行ったら大変喜ばれた。 野の花を好む人だった。
 お通夜の柩の上にその花も置かれていたので、葬儀の日に少しは新しい花をと、また切って持って行った。  その続きというわけではないが、お盆のお墓にも今朝、庭の花を持っていった。 同じお寺の墓地にきょうだい五人のお墓がある。 夫のお墓には特別サービスで、少し多めに供えた。

 少しずつでも花立十本分の花を切ったので、庭はすっかり寂しくなった。 しかし、花はまた来年にはたくさん咲くが、義兄、義姉に会うことはもうないと思うと、切ない。 最後の一人になるのも、複雑な気分である。

 あの世では、今頃全員そろって、昔のように仲良く「きょうだい会」をしているのかもしれない。

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