10’2’9
この I さん、とにかくマイペースなのだ。 先日も、電車を下りて、トイレタイムの後、歩き出そうと言う時になって、I さんがいない。 I さんは、汗をかくと、こまめに着替えをする人だったが、このときは、「まだお召し替えには早いよね」と、みんな言う。 どうもトイレに何か忘れ物をしたようで、取りに戻ったりしていたらしい。 大声で嬉しそうに話しながら、ゆっくりとリュックを背負う。 今回から交代した新リーダーが、ちらりと時計を見る。 この日は、「お世話係」の N さんがお休みだった。 I さんの準備が整ったところで出発。
この日のコースは、奥多摩の高水三山。 高水山・岩茸石山・惣岳山と、それぞれ標高800メートル足らずの山で、奥多摩の入門コースとされている、歩行時間約5時間の行程である。 5日前に降った雪が、南斜面にまだ残っている奥多摩の山並みを見て、北斜面にはおそらくかなりの残雪があろうかと、一応、軽アイゼンとスパッツを用意して行った。
除雪車のわだちが残る車道で榎峠を越えて山道に入ると、日当たりの少ない木下道には、思ったほどではなかったが、やはり雪がある。 時々木の上からも雪が落ちてくる。 奥多摩の山はやはり降雪量が多かったようだ。
尾根に出ると、ひどい風で、リュックが重石の役をしていても、よろめくほどだった。 総勢9人が一人ずつやっと通れるような狭い小さな登りで尾根に出たが、後ろが付いてこない。 覗いてみると、下の道で I さんがリュックを下ろしてなにやらしているのが見える。 どうやら杖を出しているらしい。 強風の尾根の上で、寒さに耐えながら I さんの登って来るのを待つ。 サブリーダーで最後尾を歩いているのだから、「早めに出しておけばいいのに」と思ってしまう。 ずっと登り続きで暑くなり、みんな薄着になっていた。
三山最初の山、高水山は、山頂直下に「高水山常福院」がある。 何度も来ている山だが、雪の中は初めてだった。 雪の常福院は、しっとりと落ち着いて、とても良い雰囲気だった。 和尚さんが雪かきをしていらした。 以前は無かった東屋ができていた。 和尚さんが「尾根の方が暖かいかもしれない」と言われる。 風は当たらないだろうということだったが、各自適当に「雪の無い日向」でお弁当を食べることになった。
昼休みは1時間。 「12時45分にはこの場所に集まって」とリーダー。 東屋の日の当たる部分に女性4人は集まってお弁当を広げる。 食べ終わってから、カメラを抱えて雪の中を歩き回って撮る。 1時間の昼休みもじっとしていると寒くなるので早々とリュックを背負う。 みんな早めに集合場所に来たが、I さんがいない。 リュックがあるから、トイレだろうと言うことになった。 「一言言ってから行けばいいのだけれど・・・」とは、いつもみんなが言うことである。 一緒に食事をしていた人が、「今日は先輩がいないから大丈夫だ」と言っていたよ、とばらしたのがおかしかった。 優しい物言いの N さんだが、I さんも「先輩」に一目おいているとみえる。
いつだったか、コースの最後に寄ったお寺さんで、みんなが仏像の展示室に入っている間に I さんが見えなくなったことがあった。 トイレの中まで探したが見つからず、「子供じゃないから一人で帰れるよ」と言うことになった帰りの乗換駅で、ひょっこり現れてみんなを唖然とさせたのである。 「気がついたら誰もいないから、おいて行かれたと思った」と。 このときも「お世話係」が不参加で、「N さんがいないと駄目」と言うことになったが、当の N さんは「お世話係は降りた」と言う。 面倒を見切れなくなったと言うところかもしれない。
時間にはまだ少し余裕があるのだが、I さんがなかなか戻ってこないので、どうしたのかと心配する。 時間ぎりぎりに来た I さんは、「頂上への道を歩いているグループが仲間かと思って行ったら違っていたので、駆け足で下りてきた」と言う。 以前の「事件」がトラウマになっているのだろうか。 「リュックは誰かが持ってきてくれる」と思ったとしたら甘すぎる。
帰りの電車は青梅線御岳発4時22分。 『また』 I さんが見えない。 「心配するのはよそうよ」と女性陣は言う。 電車が見えてきた頃、I さんもホームに上がってきた。
「奥さんは大変だろうね」と女性陣の一人が言う。 その奥さんには、「皆さんにご迷惑をかけているんじゃないの」と言われるらしい。 一、二度お目にかかったことのある奥さんは、ゆったりとした感じの方で、当然ながら「よくお分かり」とみえる。
いつもこんなに仲間をヤキモキさせながらも、誰からも本気で嫌われないのは、やはり I さんの人徳なのだろう。 マイペースもここまで来れば「たいした物」と言えるのかもしれない。
(「山ある記・高水三山」へもどうぞ)