09’12’26
このスーパーは中規模で、食品が中心の店だ。 必ずしも評判が良いわけではないが、家から近いし、どこに何があるのかもよく分かっているので利用頻度は高い。
この店で、ここ数年の間に、それと確認したのは今回で三回目だが、「ちょっとおかしい」と感じることはちょくちょくある。 三回の最初は子連れの若い母親、次は高齢の人、そして今度もまた子連れの若い母親だった。 人間誰しも良心があるとみえて、なんとなく不自然な動きをするので、鈍感な私でも感づくのだ。
言い合わせたように、若い二人の母親は似た服装をしていた。 長めのコートの前を止めずに羽織っている。 どうやら、大きめのポケットが役に立つらしい。 確かに前をはずしていれば、少々ポケットが膨らんでも目立たない。 体を斜めにして立ち、「品物」をさっとポケットに入れる。 その後も、何かを探しているようなしぐさをする・・・。 二人ともそんなふうだった。
その後、牛乳の棚の前でその人の横に立ったとき、コートのポケットを上から触ってみたい衝動に駆られた。 あるいはそうした方がその人のためであったのかもしれないが・・・。
前回は子供のお菓子の並んだ棚の前、今回は小さい冷凍のケーキ類などの入っているケースの前だった。 クリスマスも近かったし、子供のおやつだったのだろうか。
この若い母親たちは、いずれも「子供のため」だったようだ。 子供がもう少し大きくなってこのことを知ったとき、果たして喜ぶかどうかは分らない。
中学生の万引きが話題になったとき、「罪の意識」はまったくなく、「スリルを楽しむゲーム感覚」だと聞いた。 若い母親も、「昔取った杵柄」でゲームを楽しんだのかもしれないし、中学時代に磨いた腕が生活に役立っているのかもしれない。
二回目の人はかなり高齢だったが、肉のパックを手持ちの手提げ袋に滑り込ませていた。 あまり豊かそうには見えない人だったので、何か痛々しさを感じてしまった。 と同時に、「マイバッグ」を持つことについて、「万引き犯と目をつけられそうでいや」と言った友達の言葉を思い出していた。 確かに軽やかにコートを羽織るスタイルが似合わない人は、「手提げ持参になるなぁ」と感じ入った次第である。
最初の人は知人によく似た人でちょくちょく店で見かける人だったので、びっくりしたのだが、気が付けば、最近はまったく見かけなくなっている。 店員にでも気づかれて、この店には来にくくなったのかなと思ったりしていたが、私がそこまで心配する必要もあるまいにと思うとおかしい。
スーパーでの万引きは非常に多いと聞くが、私に気づかれるドジもいるくらいだから、確かに多いのだろう。 見付けて通報することが正しいのかもしれないが、「生活密着型の万引き」では、ちょっと躊躇してしまうのも事実だ。
桁外れの悪事にお偉方が手を染めている時代である。 道徳心の低下は避けられない時代なのだろう。
目撃しながら知らん顔をする自分自身にも不満が残り、万引きは「見たくないもの」になってしまっている。 さりとて、「やるならもっと上手にやってよ」とも言えないことである。
店にとっても、損害には違いないが、あるいはその代金も正直者が負担する仕組みになっているのだろうか。
いい加減な服装で、エプロンからの再生品の「マイバッグ」を持って出かける私だが、おかげさまで今のところ、「万引き犯」と疑われている節はない。
何はともあれ、人のちょっとした出来心?からの行為に、胸を痛める人間のいることも考えて欲しいものである。