08’6’13
地元の観光会社のツアーなので、近くから乗れるのも気に入っていたし、尾瀬での時間が5時間あるというのも気に入っていた。 5時間あれば、ピッチをあげて歩けば、至佛山をバックにした水芭蕉の素敵な風景が見られる「下の大堀」まで行けるかも知れない、と考えていた。
めったに風邪も引かなかったのに、折りも折り、こんな体調になるとは情けない。 行かないほうが良いのは分かっているのだが、なんとも残念に思われた。 尾瀬の空気が吸いたかった。
今ならまだ、Nさんに電話をかければ連絡してもらえる、でも行きたい。
迷った挙句に出した結論は、尾瀬の鳩待峠までの車窓の風景を眺めるだけでもいいから行ってみよう、と往生際の悪さを表したものになった。 具合が悪ければ、鳩待峠の周りを散歩して待っていてもいいし、と。 少し良ければ、川上川の川原あたりまで行ってみることもできるし、山の鼻まで行ければ研究見本園があるからそれで十分だ、と思った。
前夜のひどい咳を考えると不安もなくはなかったけれど、人様に迷惑をかけることもあるまいと思われた。 風邪のウィルスを撒き散らさないようにしっかりマスクをした。 別々に申し込んだので、席がNさんと前後で、それぞれ一人ずつだったのも、幸いなことだった。
マイカーで入れる戸倉まで2時間半だったから、マイクロバスでは3時間かかるとして、鳩待峠に着くのは10時過ぎになると計算したが、マイクロバスは交通規制外で、そのまま鳩待峠まで直行でき、10時前に着くことができた。 再集合は5時間後の2時45分。
風邪薬のせいでなんとなくぼうっとしていたのだろうか、歩き始めて程なく登りの木の階段で転び、顔をしたたか打ち、鼻血が少し出た。
「尾瀬学校」のリーダーの男性が、「足は?」と尋ねてくれたり、ティッシュを丸めて鼻栓を作ってくれたりと、世話をかけてしまったが、大事に至らなかったのは、下が「木」だったからかもしれない。 とっさにカメラをかばう習性はちゃんと出たようで、カメラは今回も無傷だった。
顔をぶつけてすっきりしたわけではないのだろうが、思ったよりも調子よく歩けて、無事に山の鼻から尾瀬ヶ原へと入った。 Nさんにも迷惑をかけたが、無理をせず、牛首まで行ってお弁当を食べ、そこからUターンして山の鼻に戻り、時間があれば研究見本園に寄ることにした。 Nさんには、私に構わず自由に行動してね、と言っていたのだが、一緒に歩けて何よりだった。 不思議なことに、まったく咳は出なかった。
ミズバショウの時期に来たのは何年ぶりだろうか。 前回も前々回もニッコウキスゲの最盛期だった。
「なんだか下が乾燥しているみたいね」とNさんが言う。 尾瀬ヶ原も、いずれは日光の戦場ヶ原のようになる運命にある、と聞いたことがあったが、地球温暖化の進行の速さに伴い、乾燥のほうも急ピッチで進んでいるのだろうか。
「ミズバショウが小ぶりになっている」というのが、二人の一致した感じ方だった。 木道から近いところに、もっともっとたくさんのミズバショウとリュウキンカが咲いていたような気がしていた。
「下の大堀」まで行けなかったが、今年はどうだったのだろう。 ミズバショウの盛りをやや過ぎてしまっていたのかもしれないが、「惚れ惚れするような」ミズバショウがなかった。 山の鼻に出るまでの道にも、昔は、素敵に咲いた花がたくさんあったように思う。 少し前には、尾瀬ヶ原の「富栄養化」が問題にされていたのだった。
尾瀬ヶ原が戦場ヶ原のような原っぱになっても、それなりの花は咲くだろうが、尾瀬と言えば、ミズバショウ、である。 それがなくなってしまったのでは寂しい限りである。
ひところよりも入山者は減少しているらしい。 確かにかつての面影は少しずつ薄れてしまっているのかもしれない。 ミズバショウの群落は木道から離れた流れに沿ったあたりだけになってきているのだろうか。
山の鼻に戻り、研究見本園に寄った。 ここには一面のミズバショウの大群落があって、感激したが、花はやはり小さかった。 リュウキンカもたくさん咲いていた。 「ミズバショウに寄り添うように咲くリュウキンカ」が、私のイメージだったのだが、そのイメージ通りの状景にはついに出会えなかった。
体調の良くない状態ではあったが、久々の尾瀬は楽しかった。 同時に、尾瀬ヶ原の先行きの心配も増えた。
大汗をかき、温泉にも入り、疲れ果てて、帰宅後は食事もしないでベッドに直行する始末ではあったが、風邪も幾分良くなり、相変わらず私にとって、尾瀬の効用は大きかった。
ミズバショウの小ささも気になるので、そのうちにまた・・・と、思っている。
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