09’6’28
今まで、多少もたつく車がいても、あのマークをつけているのを見て「仕方ないな」と思ったものだが、これからは人様にそう思ってもらうことにしようと決めたのである。
この「紅葉マーク」には、磁石式のものと、吸盤でぶら下げるタイプのものとがある。 吸盤で、前後の窓に内側からぶら下げている車を見て、やはり外へ貼り付けたほうが見た目が良いと思ったので、私は磁石式のものを買ってきた。 説明文に「車から離れるときは必ずはずしてください」とあった。 新車の場合や、高温の時など張り付いて取れなくなることがあるらしい。 しかしさすが「高齢者マーク」である。 つけるのもはずすのも忘れることがあるのは我ながらおかしい。
同じ年頃なのに、みずみずしい肌の持ち主の友達がいる。 彼女は、中学時代と少しも変わらないと言われるのだそうで、それはかなりオーバーだとは思うが、あえて否定することもない。
彼女が、高齢者マークをつけることなど、おそらくあるまいと、私は思っている。 「貼り付け式は盗まれることがあるらしいわよ」と彼女は言う。 「車から離れるときにははずせ」の意味にはそれも入っているのかもしれないと思った。 しかし、罰則が無ければ、盗んでまでつけることもあるまいと考えるがどうだろう。
その彼女、ちょっとした事故を起こして、目下運転できずにいる。 人身事故にはならなかったらしいが、彼女の方に非があるという。 外見は若々しくても、やはり、年は争えないのかもしれない。 事故の詳しい話はしたがらないが、「最近、ひざが痛くて」などと言うところはやはりご同輩である。 一方「つけているよ」と当然のように言う友達もいる。
先日の高齢者講習の時の教習所の教官は、「紅葉マークをつけるように」と薦めることはしなかった。
紅葉マークをつけて半月、自分の中に多少の変化が生じたような気がする。 「もたもたしている」とか「危ないなぁ」とか思われないように、気をつけて運転しようと思う気持ちが出てきている。 目指すは、「あの紅葉マークのおばぁの運転は安心だよ」である。
気のせいか、後続車が車間距離を十分に取ってくれるようになった気もする。 変にぴったりくっついてくる車が結構多いものだが、「危ない車」と認識してもらえば助かると言うものである。 前の車との車間距離をしっかりとっていると必ず割り込む車がいるものだが、これからはどうなるだろう。 少しは「紅葉マークの効き目」が出るかもしれないと期待している。
面白いのは、対向車にこの「紅葉マーク」がついていると、思わず、手を上げて挨拶したい衝動に駆られることである。 それもまた楽しそうだと思うが、今のところ実行には至っていない。
免許を取って一年間は「若葉マーク」をつける義務がある。 「若葉マーク」をつけることを忘れたことはなかったし、つける気分も、なんだか楽しかった記憶がある。 それに比べると「紅葉マーク」は、つけるたびにげっそりすることもないものの、特別の感慨も湧かない。
「若葉マーク」とは一年の付き合いだったが、「紅葉マーク」はこの先ずっと続くご縁である。 それこそ、「枯葉マーク」になるまで、適性検査の結果も優良レベルを保ちながら、元気に運転していられれば、まことに幸せなことだと思っている。