06’3’10「不動産買います」のチラシがよく郵便受けに入っている。 それと、頻繁に来るのが、「外壁を塗り替えのころではありませんか」の、営業マンだ。 「必要なときにはこちらからお願いしますから」と、はっきり断ってからは、チラシだけポストに入れていく。 あちらは「勧める」のが仕事なのだろうけれど、こちらは営業マンの顔を見るのもいやになってしまっていた。言われるまでもなく我が家は古い家である。 建て替えるわけでもなく、庭の手入れもおばぁちゃんがしているとなれば、「売りに出すかな」、「そろそろ塗り替えでも」と、狙いをつけられるのもやむを得まい。
一人暮らしの友達は「不動産買います」のチラシを見ると気が滅入ると言う。 「家も何とかしなければ」と思う気持ちをせっつかれる感じなのだろう。古い我が家ではあるが、途中で増築しているので、同じ古さでも部分的に差がある。 あえて新旧で言うならば、新しい部分は寝室であり、古い部分が昼間の生活空間となっている。 この両者は廊下の幅で接続されている。
「新」といえども築ウン十年を経過して、接続部分に不具合が生じたので、先だって修理を頼んだ。
「新」の廊下の突き当りから、外に出られるドアも、「今なら外には使わない物」だそうで、長年風雨にさらされてひどくなったので交換してもらった。 サッシの規格も今とは違うので、すべて注文品になる。 つまり高くつくのである。
一応見た目よく直してもらい、わずかなことだが、木の香りが心地よかった。一度改築した台所の床材は、いわゆる新建材だ。 大工が「無垢」というヒノキの廊下は、色こそ黒ずんだものの、全く問題はないのに、この新建材の床は年数としては少ないのに、はがれかかったり、ペコついたりしてきた。 「廊下の黒ずみを、薬で洗ってきれいにしてあげる」と言っていた先代の大工が亡くなってしまったので、廊下はそのままになった。 台所の床のペコつきは頭の痛いことの一つであり、いずれは直すことになるのだろう。
家も古くなったが、住んでいる人間も古くなると、職人が出入りする幾日かの束縛を考えただけで気が重いのである。
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年を重ね、力がなくなったのでそう感じるのか、事件に結びつかないようにということでか、最近の「ふた」はなかなか強固である。 瓶詰めの少々きついふたなど、熱いお湯に逆さにつけておけば簡単に開けられたものなのに、お湯につけようが何をしようが、びくともしないのが、我が家愛用のジャムのビンである。 最近ではねじって開けることは諦めて、ふたに穴をぽつんとあけることにしている。 小さな穴一つで、あっさりあくのがいまいましい。
その穴あけに役立つのが、市から配布された「穴あけ器」である。 卓上ガスボンベなどをごみに出すときに穴を開けて・・・と、配布されたのだが、「有害ごみ」として別回収になったのを機会に、穴あけの必要がなくなり、思いもかけないところで役に立つことになった。 缶切りの合わない瓶詰めにはなくてはならない品になった。
年を取ると、それまではなんでもなくできたことに、思いがけずてこずることが多くなるようだ。 いろいろと工夫する才覚も必要になる。夕方、「今日はどうしたの」と友達から電話があった。 「あっ、今日だった!」。
月二回の勉強会は、大体一〜二週間おきにあるのだけれど、この二月から三月にかけては連続になっていたのをすっかり忘れていたのだ。 二月の日数が少なかったからとはいえ、カレンダーにもしっかり書いておいたのに。
サボリとは違い、何の後ろめたさも感じないで、草花の植え替えに、精を出せたのは幸いだったものの、完全なボーンヘッドである。あれやこれやが重なって、この古いあばら家で長生きするのも、結構大変なことらしいと思ったことだった。