例年より一か月遅れの夏山へ出かけた。後立山連峰の鹿島槍ヶ岳である。長野県の扇沢から入山し、爺が岳を経て、鹿島槍を往復する計画だ。
八月末に変に涼しい日があったが、あの時季に山小屋では初氷を観測したというので、朝晩の「寒さ」を覚悟して行った。新宿発白馬直行の夜行バスを利用して、朝五時半、扇沢で下車した。
昼前に種池に着いたときには、種池山荘に泊まってしまいたい思いにかられた。しかし、山は朝良い天気でも午後にはガスがかかるものと思っているので、翌日の午前中に鹿島槍の山頂に立つためには、もうひとふんばりが必要だった。
歳は争えないと思わされたのは、夜行バスの寝不足が骨身に応えたことである。地図のコースタイムは種池から爺が岳まで一時間。休憩時間と自分のペースを考えて何割増かに時間設定をしたのだけれど、三つのピークを持つ爺が岳ののぼりで疲れ果てた。この程度の登りで参っているわが身が情けなかった。足慣らしのはずの山歩きの疲れもまだ残っていた上に、一晩バスに揺られてきたことの影響は大きく、ヨタヨタ歩きの登山となった。
それでも冷池山荘にはほぼ予定通りたどり着けた。聳え立つ鹿島槍の堂々たる双耳峰を目の当たりにして、翌日への期待と覚悟を新たにしたのだった。すばらしい天気に恵まれ、この日は夕方になってまた雲が切れた。
その晩の部屋割りは、部屋の向こう半分に男性三人グループ、こちら側に女性二人グループと私達二人の女四人だった。夏山の最盛期を過ぎて、十分のゆとりがあった。私たちが着いたとき、先着の五人はよく寝ていた。長丁場を歩いてくるので、横になればたちまち睡魔に襲われるのだ。大いびきの男性もいたのが気になった。五時半の夕食まで間があったので表に出て、鹿島槍を眺めながら缶ビールとジュースで初日の労をねぎらいあった。
夜は案の定いびきに悩まされた。食事後は八時半の消灯を待つまでもなく寝る人が多い。山小屋の朝は早く、五時半の朝食を待てずに小屋を発つ人も多いのである。いびきに悩まされた女性グループが、耳栓が欲しいとか、ティッシュ丸めても効き目がないとか話しているのを可笑しがっているうちに、いつのまにか眠ってしまった。
五龍岳へ縦走するこの人たちは翌朝四時に出発して行った。私達も雲海からのご来光を見て、六時過ぎには荷物を小屋に預け、水と食べ物だけを背負って、今回の目的地鹿島槍に向かった。昼までに小屋に戻れればよいと考えていた。
南峰に登頂したときは、三百六十度の眺望に圧倒された。北峰の向こうには遥かに富士山、北アルプスの槍ヶ岳や穂高連峰が望め、振り返れば剣岳と立山がそそり立つ。眼下にはキレット小屋から八峰キレット、そして五龍岳への厳しい岩稜が続く。時間の許す限りここにいたいと、一時間以上いただろうか。九時半になりガスが上がりだしたので下った。冷池山荘に戻ったときには、鹿島槍はガスの中に姿を隠していた。「昨日頑張っておいてよかった」と思った。
持っていたパンとコーヒーの昼食を済ませ、来た道を戻ることにした。爺が岳のピークは前日登ったので巻き道を取った。爺が岳からは下り一方なので、つま先の痛い私にはちょっときついものになった。
種池山荘まで下り、例によって外で乾杯していたが、風が冷たく、寒くなってきたので小屋の談話室に移動した。先客が「いびき三人集」だったのがおかしかった。耳栓の話を聞いていた人があったらしく、「いびき」さんが盛んに恐縮して気の毒だったが、その後「お詫び」と言ってラスクを何枚かもって来てくれたのには笑った。その晩も「犠牲者」が出たことだろう。私達は遅く着いて早立ちした娘さんと三人だけでよく眠れた。
翌日は四時間あまりかけて扇沢に下り、昼食、入浴を済ませやっとさっぱりした。水が無いから顔も洗わず、口も十分にすすげないのが山である。日に焼けた顔はお風呂に入ってもそのままだけれど・・・。例の三人集は大町で温泉に行くと言うことだった。
「いびき」さんも今夜は家で気兼ねなく寝られることだろう。予約していた直行バスで私達も帰宅した。これでまたしばらくは楽しく働けるというわけだ。
(写真は爺が岳と冷池=ツメタイケ=山荘です。「山のアルバム」もどうぞ。)