今時、敷地が二百坪、と言えば羨む人が多い。しかし、私は庭の広さと庭木の多さに頭を悩まし、時としてそれがストレスの元にもなっている。
予定では、今ごろは小さな築山が出来、その前に配した小さな池に魚が泳ぎ、きれいに整えられた庭には四季折々の花が咲いているはずだった。そのささやかな計画を自分の手で実現するのだと楽しみにしていた夫が、定年まで四年を残してなくなったことで、状況は一変した。
以来、庭の手入れは私の仕事になった。植木屋やシルバーさんに頼んだこともあったが、年金生活には高すぎる料金と、草花を傷められることから、できる間は自分でやることにしたのだった。
よその庭木を眺め、剪定の方法を本で調べ、人にも尋ねと、それなりの勉強もした。植木の手入れは体力のいる仕事だが、身体を動かすことが嫌いでないのは幸いだった。
植木の手入れをし、草をむしり、時期には花の種をまき、球根を植え、頑張ってはみても、一番喜んでくれる人がいないのだから、空しい努力に思えることもあった。
草は抜いても抜いても生える。ひとわたり終えたと思う頃は、最初に取った所にはもう次の草が生えている。手を抜けばたちまち草原と化してしまうし、そうなると私の精神状態も不安定になる。
そんな状況を幾年か繰り返した後、私は開き直った。いよいよ大変になったら大きな木は切ってしまえばいい。家の裏手は、草が生えないように「小葉のぎぼうし」で覆ってしまおう。運動不足解消のための作業と割り切って、のんびりやればいいと。
気持ちを切り替えたら、庭仕事も結構楽しいものになった。植木や草花は、手を掛ければ掛けただけの結果を出し、心地よい疲れは夜の熟睡をもたらす。
築山も池も出来なかったけれど、今年も福寿草が咲き、梅のつぼみもふくらみ始めた。
「うまいもんだねえ」とほめてくれる人も現れたこのべテランシルバーも、最近は梯子を「高い」と感じるようになったことが、少々気がかりな点である。