N さ ん の こ と  

 

09’10’12
 Nさんは同じ生け花の先生にお世話になっていた六歳年長の女性である。 お洒落でちょっと気取りやさん。 お花では私のほうが少し先輩になる。 
 静岡出身のご主人はいわゆる「名家」のご長男なのに、生まれたのが姉上にご養子を迎えられた後だった関係で、家督はその養子さんが継がれ、ご主人は東京で「借家住まい」と言う話だった。 彼女はご主人には、文字通り「仕える」関係のように見えた。

 おしゃべり好きな彼女の話題は、郷里の「名家」に関する話やご家族の動静が主で、いつも一緒にお稽古をしていた数人は、ご主人の実家の皆さんの様子や、ご家族のことに精通してしまいそうだった。 彼女はまた、いつの頃からか、お稽古のたびに、一人ずつに「お土産」を持って来てくれるようになった。 ほかの人も、いただくばかりでは間が悪いので、わずかにしろ、お稽古には「お土産持参」となり、見かねた先生からのご注意があるまでこれは続いていた。

 初対面の時から、私としては珍しく、なんとなくしっくりしないものを感じた人だった。 盛んに東京の悪口を言われるので、そんなに嫌いな東京に何で住んでいるのだろうと思っていたが、どうやらそれは、私が「東京生まれ、東京育ち」だったことが気に入らなかったらしい。 第一印象があまりよくないと言われる私だし、あるいは、彼女にも出身地によるコンプレックスがあるのかなと思ったりしていた。
 時々不愉快な思いをすることもあったが、深入りはせず、普通のお付き合いをしてきた。

 ほかの人たちが一緒の時には「上品な奥様」なのに、二人だけの時には、信じられない発言をする人だった。 私の服装、持ち物、・・・なんでも批判の対象にされた。 夏、帽子が流行した年も、暑いので日傘を愛用していた私に、「いまどき日傘なんてあなただけでしょう」と言われたし、手製のブラウスは、「だから衿がおかしいのね」と。 ブラウスの色が「私の血尿と同じ色」とまで言われた。 彼女が膀胱がんにかかった初期の頃、ご主人への気兼ねからか、ぐずぐずしているので、人がいいのか、馬鹿なのか、私は口をすっぱくして「早く病院に行くように」と、勧めていたといういきさつがあった。 ほかの人には多分想像もできない私への発言だったのだろうと思う。 

 いつだったか、彼女が郷里から帰られて、かなり日がたった頃、理由は忘れたが、菓子折りを頂戴したことがあった。 郷里のお店の名前が書かれていた。 家に帰って開けてみたら、見事に「かびの生えたお菓子」が入っていた。
 彼女には何も言えなかったが、私の彼女に対する気持ちは、そのことで、「決定的」になった。 しかし、表面的には何事もなかったようにお付き合いは続いている。
 私の方から電話をかけたりすることはまったくないが、彼女からは「長電話」があって、いろいろと聞かされる。 いつもご主人がお留守の時らしく、帰ってこられるとすぐ電話は切られる。 
 その後も彼女は幾度か大きな病気をされたものの、もともと生命力のある方と見えて、切り抜けている。

 この春、生け花教室が先生のご高齢のため、終わりを迎えたとき、いつもの仲間で会食をした。 その際、彼女は体調不良でお休みだった。 彼女が元気になったら、また集まって改めて「お茶」でも、ということになっているが、その後何の連絡もない。
 「彼女がどうなろうと、私には関係ない」と、心に決めていたというのに、私は今、彼女のことが気になって仕方がないのである。

[目次に戻る]