04’2’20幼い日々の記憶をたどる。
冬の夜、寝床に入ると、母が「お休み」と言いながら布団を上からぎゅっと抑えてくれたことを思い出す。そうしてもらうと、安らかに眠りにつけるのだった。「母のぬくもり」とはこうしたものなのだろう。
世の中がきな臭くなり始めた昭和十年代、今ほど物質的な豊かさはなかったけれど、親が子に十分な愛情を注いでくれていた時代だった。
病身ながら、家族のために働き通した母の病状が悪化し、五十歳という若さで他界したのは、あの戦争が終わって間もなくのことだった。今の私は、子供達も独立し、母の亡くなった年齢も大きく超えている。私の生活は母の時代とはまるで違う、恵まれた日々である。
寒中、軽くて暖かな羽毛布団に身を包みながら、この心地よさを知ることもなかった母を思うことがある。親子の関係も多様化し、必ずしも絆が強いとはいえない昨今の世相を考えると、「母はあれで幸せだったのかもしれない」とも思う。
両親と子供達が、信頼と愛情でしっかり結ばれた、暖かな良い家庭で育ててもらったと思っている。母との縁は、時間的には本当に短い間だったが・・・。
羽毛布団を引き上げて首の周りの隙間を埋めながら、上からぎゅっと抑えてくれた「母のぬくもり」を、私は懐かしく思い出す。一方で、私自身が母親として我が子に「母のぬくもり」と感じるようなことをして来たかと考えると、甚だ心もとない。
年老いた親の世話の大変さを見聞きするとき、「長生きしすぎた親」は、懐かしく思い出されることもないのかとも思い、私の母への思いは、母が早く亡くなったからこそなのかとも思う。
「ぬくもり」も残さず、いまだに元気な私は、どうやら「思い出されない母親」になりそうな気配である。