お  盆 

 
06’7’13
   近所のお宅の取り壊し作業を横目で見ながら、お盆のお施餓鬼の行われるお寺に向かった。 昨日から取り壊し作業が始まっていた。 畳が積み上げられ、足場を組んで、周囲をシートで、囲ったと思ったら、今日はもう水をかけながら屋根を壊している。

 この家に住んでいたお年よりは、二十五年前に息子さんに先立たれてからは一人暮らしだった。 長年保険関係の仕事をして来られたしっかり者のおばぁちゃんだった。 亡くなって、後始末にお嫁さんが見えていた。 美容師のお嫁さんは、息子さんが亡くなってから、仕事に向いた場所に越されたようだった。
 大きな車が来て、家財道具を運び出していった。 家財道具一切を処分してくれる業者がいることを知り、無理に家の中を片付けなくてもどうにかなるものだ、と正直なところ私は少し安心した。  

 少し前に亡くなった、やはり一人暮らしだった方の住まいももう更地だ。 こちらもじきに跡形もなく片付いてしまうことだろう。 通りがけにちょっと言葉を交わしたり、同じ隣組なので集金にうかがったりしていたことが、ついこの間のように思い出されるので、寂しい気持ちである。 「死ねばすべてが終わりになってしまう」と、改めて思う。

 近年陽気のおかしい年が多くなった。 夏の猛暑に冬の厳寒。 それが普通になってきた。 陽気がおかしいから、四季もはっきりせず、花の咲く時期もずれ勝ちである。 おかしな陽気が関係しているのかどうか、今年は近所のお年寄りが相次いで亡くなった。 皆さん九十過ぎの長命なのだから、陽気とは関係ないのかもしれないが。

 十年前には、夏の夕方ともなると、川べりのフェンスの下のタイル部分を、格好のベンチにして、お年寄りが並んで話に花を咲かせていたものだ。 春には、程近い桜の名所、「羽村の堰」に手押し車を連ねてお花見にお出かけだった。 多摩川沿いのこの道はシルバーロードだとか、シルバー街道だとか言われていた。 今はもう、そのお仲間の皆さんがいなくなってしまった。     

 お寺にしつらえられた精霊棚には、例年新仏の白木のお位牌が並べられている。 今年は非常に数が多いのに驚かされた。 和尚さんも法話の中でそのことに触れられ、四十人以上の方が亡くなったということだ。  このお寺の檀家だけでこんなに多いのだから、どこでもおそらく、同様の傾向があるのではなかろうか。

 世界一の長寿国も、そろそろ頭打ちになりそうだと思いながら、お参りしたことだった。
 人の命のはかなさが、ことのほか身にしみる今年のお盆である。  

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