08’9’25
私の生け花の師匠は今年八十六歳におなりである。 姉の弟子だった私が、姉の死後お世話になった方で、もう二十五年ほどの師弟関係にある。
私は生け花を生涯の仕事にする気はなく、六十五歳になったら、この世界からは「足を洗う」予定でいた。
いけばな展の折りなどの、夜中までかかる生けこみ、早朝の手直しなど、重い花器や、七つ道具、傷めては困る花材を持って都心へ出向くには、体力的にもそろそろきつくなるだろうと考えてのことだった。
私よりも一回り年長でいらっしゃる先生が、「八十歳までは続けたい」と言われるので、私も、そこまでは延長するようかなと、一応の心積もりはしていた。 しかし、先生はやはり簡単にはおやめになりたくないようなので、弟子の方が息切れをしてしまい、先生には申し訳なかったけれど、本部の講習も、研究会への出席もやめ、地元の華道会も退会してしまった。
昔の一時期、同じ職場にいた仲間が、年に一度、十月に集まる会がある。 一番若いのは私と言うのも驚くべきことだが、最高齢の方は九十歳を過ぎている。 この会は十名でスタートしたのだが、私は予定がつけられず、毎年必ず参加できるわけではなかった。
ここ数年、メンバーも年を重ね、最高齢の方は少々認知症気味で、不参加となり、私と大差ない年の方がガンで亡くなり、それほどの年とは思えない方も認知症の傾向が出たりして、今年は四名の出席だと言う。 ずっとお世話をしてくださる先輩が、「二〜三人になっても続けましょうよ」と、電話の折に話されていたが、それもまことにわびしいことだと思う。 バリバリと仕事をこなしていた若いときの姿を知っているだけに、暗澹たる思いもある。
義姉二人が亡くなった今年、なぜか、これでもか、これでもかと、私には「老い」に伴う話が押し寄せてくる。 いやでも「明日はわが身」と実感せざるを得ない。
「老い」と言うものは、ひたひたとさざなみのように知らぬ間に押し寄せてくるものと感じていたが、今年は、その「老い」が、大きなうねりとなり、スピードも一段と加わって迫って来るような気がしている。
私も、来年は、後期高齢者の仲間入りだ。 「わが老い」も、いよいよ本番を迎えたというところである。