「 思 い 出 」 を 捨 て る

   

11’9’13
 家の片づけをしておかなくては・・・と思い始めて何年たつことか。 片付けるよりも、ものの増える速度の方が速いわけでもあるまいに、一向に片付かない。
 不要な布団を処分したりすることはそう難しいことではないし、自分の衣類の片付けも、さして衣装持ちと言う訳ではないから、そう難しいことではない。 それなのに何で片付けが遅々として進まないのかを考えてみた。 その結果得た結論は、要するに私が捨てられないのは「思い出」なのだということだった。

 たとえば、息子たちが小さい時に縫って着せた浴衣がある。 子供は大きくなる方が早いし、そう年中いたずら坊主が着るわけではないから、きれいな状態で残っている。 身近に譲る人がいれば譲っていたのだろうが、そんな機会もないまま残っている。 孫が着るかと思ったが、「いらない」とにべもなく断られた。 しかし捨ててしまえない。
 そこで、考えた挙句、「私の作品」として残しておくことにした。 自分の洋服も、以前はほとんど手作りだったので、特に気に入ったものは無理に捨てなくても良いではないかと考えることにしたのだ。

 友人が、親しい近所の奥さんが亡くなった後、よく着ていた衣類が、「ごみ」としてどっさり出されているのを目にして、切なかったと話したことがある。 「亡くなった姑の衣類を捨てるのには、何の抵抗もないのね」と。 それはそうだろうと思う。 なれば、あっさり捨てられる人に捨ててもらえば良いことだ。 迷惑をかけるには違いないが、全部捨ててしまうのは、そう大変なことではあるまいから。

 「作品」以外の思い出は、この際思い切って捨てようと考えた。 捨て始めると結構弾みがついてどんどん捨てられるものである。
 何しろ、旅先でもらったパンフレットから、泊まった宿の箸袋まで、「記念品」が山のようにある。 人様からお土産に頂戴した飾り物も、整理させていただくことにした。 下さった方が、故人の場合は確かに抵抗がない。 
 思い出は記憶の中と写真だけに留めておくことにした。

 次いで、今までほとんど手をつけなかった、亡夫の座机の引き出しや小引き出しの中身の整理に取り掛かった。 亡くなったあとで、整理しようと開けてみたが、そのときはどうにも捨て切れなくて、かなり片付けはしたものの、愛用していた品々は、またしまったまま時が過ぎていた。 しかし、今回は、かなりあっさりと仕分けられたのが意外なほどだった。

 四半世紀たっているのだ。 当然ながら、全てが時代物である。 今時使うこともない謄写版印刷用の道具である鉄筆などが何本も出てきた。 書けなくなっているボールペンとか、万年筆のインクカートリッジとか、固まってしまった修正液とか・・・。 感熱紙は黒い紙で包まれていても変色している。 何もかもが捨てることに抵抗のない状態になってしまっていたのだ。 定規は何本も新品のまま出てきたが・・・。
 卒業生から贈られた記念の小引き出しからは、「最後の定期券」、診察券、めがね、・・・。 校長に昇進した時にいただいたお祝いの葉書や祝電まであった。 現役中に亡くなったので、まだ、処分するには至らなかったのだろう。 下さった方の多くがすでに故人になっている。

 よく今まで取っておいたなぁと、自分自身にも半ばあきれながら、息子たちが必要とするかもしれないものだけ別にして、「燃えるもの」、「燃えないもの」に分け、更に「危険物」はまとめ包み、内容を書いて処分だ。 片付けながら、図らずも時代の変化を痛感し、四半世紀という時間の長さにも改めて思いをいたすこととなった。

 深い悲しみに閉ざされた亡夫との別れの思い出も、さすがに遠くなった。 それでなくては身が持たないだろうが・・・。
 亡夫の残した書類や「事務用品」を整理しただけで、三段のケースと亡夫手作りの小さな本立て、小引き出し二つが空いた。

 座机は押入れの中において台として使うことにした。 床の間の隅においてあったいくつかの花器も、無事収まる場を得たということだ。 後は私が必要に応じて使うことにしよう。 自分の小物も更に整理しなくてはと考えている。

 家の中が片付けば、予想される大地震の時に「飛んで来るもの」も少なくなることだろう。 それまでに片付けばの話ではあるが。 とりあえず八十歳までにだ。 そのうちには「作品」も処分しようと思うときが来るかもしれない。

 思い出を捨て、新たなスタートを切るのも良さそうだ。 八十歳からの再スタートというのもおかしいだろうが、元気に実現できればまことに幸せなことである。 そのためには、今ここで、適度な頑張りを・・・と考えている。  

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