愛犬ポコの写真

04’4’26
 茶の間の鴨居に、子犬の写真が立てかけてある。耳先を前に曲げた、雑種の可愛い犬だ。
 最初に飼った犬が六年程してフィラリアで死に、苦しむのを見るのも辛いから、犬はもういいと思っていた。だが、いなくなった寂しさもあり、娘が会社から子犬を貰ってきたときには、ついつい黙認してしまった。鴨居の写真は、この二番目の犬である。当時中学生だった二男が引き伸ばして焼き付けた、四つ切の白黒写真だ。
 最初の犬は、少々気の荒いところはあったものの賢いおす犬で、有能な番犬だった。写真の犬は顔は可愛かったが、何かにつけて鈍さの目立つめす犬だった。
 「馬鹿だけど可愛いねえ」と「ポコ」と名づけて、子供達はおもちゃにしていた。成犬になり、三匹の子犬を産んだときには、さすがに母親らしくよく面倒を見ていたが、子供が少し大きくなると、邪魔にして噛み付いたりした。子犬がよそに貰われていった後、避妊手術をした。
 予防薬を飲ませていたのに、この犬もフィラリアで死んだ。「百パーセント効く薬ではない」とのことだ。犬が死んだ夜明けの空に大きな虹がかかり、「ポコはあの虹を渡って行ったのかもしれないね」と、子供達と話した。 

 厚紙で裏打ちしただけの写真に、「額くらいつけてやれよ」と言っていた主人が、間もなく体調を崩し、半年後には帰らぬ人となってしまった。以来ポコの写真はそのままである。
 茶の間に座ってこの写真を見上げるとき、私が思い出すのは主人のことである。庭隅に、死んだ犬を埋める穴を掘ったり、犬小屋を片付けてくれたりしたのが、元気な主人の最後の姿だった。
 主人の写真は、部屋のも、仏壇のも、新しい額に収めた。「写真を額に入れてやれ」と言った言葉が、自分のことを指して言ったように私には思えてならなかった。
 この二十四日は、主人の十七回目の命日だった。
 ポコの写真が額に入ることはもうないだろう。 

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