06’4’12福祉作業所で働く娘のお仲間のお父さんが亡くなった。 奥さんから心臓が悪いとは聞いていたが、畑で倒れて亡くなったとのことだった。 まだ63歳の若さだと言う。 娘の話では、お母さんから電話があって、S君は急いで帰った、とのことだった。
葬儀の行われた斎場は、不謹慎ながら、「カメラを持って来たかった」と思うほど桜が見事だった。 その桜を見ながら、「これからは、奥さんも、桜の季節は辛いよね」と式に出た者同士で話していた。 急なことで、奥さんも何がなんだか分からないだろうと思ったりもした。
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私にも桜の辛い時期があった。
19年前の桜の美しいころ、もう先がないと知らされていた夫の入院先の病院に私は泊まり込んでいた。 日中、看護婦の手が多い時間に急いで家に戻り、掃除、洗濯、夕飯の支度と、できるだけの家事を片付け、また病院に戻ると言う生活だった。 子供たちも、末っ子がもう大学生になっていたから、それなりにどうにか乗り越えられた。
病院から家に戻るとき、桜の名所「羽村の堰」付近は、花見客で混雑し、横を走る奥多摩街道では車ものろのろ運転を余儀なくされる。 少しでも早く家に戻りたい私は時間も気になり、まして桜を眺める余裕などない心理状態で、先々を考えると桜も涙にかすみそうな状況だった。
「羽村の堰」から100メートルちょっとの場所にある我が家なので、ここを通らないわけにはいかなかった。
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桜をまた美しく眺められるようになったのは何年後だっただろう。
今でも桜の時期には、その頃の気持ちを思い出すが、もう「思い出」として、と言うところだろうか。
桜を見て悲しみを新たにする人がいるとは、花見酒に酔っている人には、考えもつかないことかもしれない。今年の桜は早く咲き、気温が低かったこともあって長く楽しめた。 よそよりもやや遅めに咲く庭の枝垂桜はまだきれいである。
夫が亡くなって以来、堰の夜桜を見に行くことはほとんどなくなってしまったが、近年は近隣の桜を求めて、カメラ片手に動き回っている。悲しみは「時間が解決してくれる」と言うが、それは確かである。 また、そうでなければ人間も生きてはいられない。 S君のお母さんにも、いずれそういう日が訪れるのは確かだと思うけれど、その日が一日でも早く来ることを願っている。
桜が葉桜になる頃、夫の19回目の命日がめぐってくる。