寒 い 春  

 

10’4’26
 四月も下旬、大型連休も目前と言うのに、今年の春は寒い。 時ならぬ暑さで、「初夏の陽気」と伝えられた日の翌日は「冬の寒さ」なのだから、体調も狂おうと言うものである。

 遅霜の被害で、「お茶の新芽」が枯れた茶畑や、きゅうりが枯れてぶら下がっている映像も目にした。 当然ながら野菜の収穫が十分にできない事態が続いている。 市の、「農産物直売所」には開店前に行列ができているとも聞くが、入荷そのものが少ないのだろう。

 寒いから、庭の草花も今年は丈が伸びない。 また、遅くとも三月には始めなくてはならない「草むしり」も、今年は一月遅れだった。 元気な草に追われる身としては、それは結構なことではあるのだが、雑草と言われる草は、指でつまめるかつまめないかと言う大きさでも、花をいつもの通り咲かせて、しっかり子孫を残していくのである。 「雑草のようにたくましい」と言うが、事実、たくましい限りである。

 四月になっても冬物を着る日が多いので、クリーニング屋さんにも「異変」が起きていると言う。 私自身も冬物を三月末の、「割引期限」ぎりぎりでクリーニングに出したが、「念のため」残しておいたキルティングのコートが、どこへ行くにも重宝する結果になった。
 テレビでは、コンビニの「異変」として、いまだに「使い捨てカイロ」が売れ、「温かい飲み物」に人気が集まり、食べ物では「おでん」が良く出ると報じていた。
 四月の入学式の頃、雨の日など肌寒いことはあるが、今年はとにかく異常である。   

 しかし、このおかしな気温の変動がもたらす利点もなくはないのだから自然界は面白い。
 今年の桜の開花は早かった。 都心での開花が伝えられても、私の住む東京郊外の羽村の桜のつぼみは固かった。 家に近いのは多摩川べりの桜なので、冷たい川風を受けて、遅くなるのは毎度のことだが、今年はその傾向が顕著に現れたようだ。
 開花から満開まで一週間、そして散るまでほぼ一週間と思っているのだが、今年の桜は長持ちしていた。 寒いので、長く楽しめた。
 羽村は「桜の名所」ともされているので、例年人が出るが、今年のお花見は、まだつぼみの固いうちから始まっていたから、出店の皆さんには喜ばしいことだったのかもしれない。 夜など冷たいビールよりも暖かいお汁粉でも食べたいような気分だったかもしれないが・・・。
 そして何よりも、今年の桜は美しかった。 もちろんいつでもきれいではあるが、今年は特にきれいだと思いながら眺めていた。

 羽村のお祭りは例年四月の第二日曜日と決まっている。 今年の桜はお祭りまでは持つまいと誰も思っていただろう。 しかし、寒さのおかげで、お祭りには満開の桜が興を添えていた。 葉桜も美しいものだが、満開の桜の下のお神輿は「絵になる」。 昔、桜吹雪に包まれたお神輿を見た記憶があって、もう一度それを見たいと思うのだが、それはまだ果たされていない。

 桜とともに、今年は椿も美しかった。 我が家の白い椿は、例年きれいな花を探すのに苦労する。 花びらの縁が茶色くなっていたり、蘂が澄んだ黄色にならなかったり、つぼみのうちの条件が難しいようだと感じていた。 それが今年は比較的きれいに咲いた。 気難しいこの木が「ましに」咲くくらいだから、どこの椿もきれいだった。
 きれいに咲いても、茶色くなってしまうのは椿の宿命かもしれないが、今年のようにきれいに咲くとうれしい。  落花を拾っての「ごみだし」も、さほど面倒に思えないから不思議なものである。

 寒さが続き、「春を迎える喜び」をあまり感じられなかった今年の春も、花のもちのよさや美しさに救われた。 寒い春ではあっても、こいのぼりの泳ぐ皐月の空も間もなく見られることだろう。 さすがに山も里も爽やかな若葉の色に染まりはじめている。
 どんな状況の中にも、必ず「良い点はある」と言うことかも知れない。 人生もまた「然り」と思いたいところではある。    

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