散 歩 コ ー ス   

 

11’5’26
 ぱらついていた雨もどうやら上がったようだ。 薄日も差してきている。 仕事も一段落したので、久し振りに散歩に出ることにする。

 ありがたいことに、散歩コースが幾通りも取れるところに住んでいる。 家の前の一方通行の道を挟んで、その先は多摩川である。 多摩川もこのあたりは上流から中流へと移るあたりで、奥多摩湖ができてからは、大きな台風でも来なければ、川幅いっぱいに水が流れることはない。 奥多摩湖で放水するときには、川の増水を知らせるサイレンが鳴る。
 川原にはグラウンドもあり、草の茂みを抜け、大小の石ころの転がる川原を抜けてやっと水辺に至る。

 家の前から桜堤公園として整備された大正土手に下りられる。 洪水で水が土手を越えそうになってから、一メートルほどかさ上げされた土手である。 平成六年に新たに植えられた桜が成長して、近年は花見客も多くなった。 この土手はウォーキングには最適の場所となっているようで、早朝から多くの人たちが歩いているし、犬の散歩の人も多い。 
 上流に向かう形で歩いていくと、土手の突き当たりに、阿蘇神社がある。 石段を登り、お参りして引き返すもよし、神社を抜けてコースを変えて戻るもよし、距離も時間も意のままである。 ただ、一時間は歩かないと歩いた気がしない私には、神社までの道を往復しても、やや物足りない。 しかし、長く続く阿蘇神社の参道と多摩川にはさまれた広場は、春には椿、続いて桜も咲き、秋は彼岸花に彩られ、やがて大きな銀杏が黄金色に色づき、雪景色も美しいお気に入りの場所でもある。 カメラを抱えて出向くには格好の場所となっている。
あおさぎ

 一方、家を出て、多摩川の下流方向に向かい、羽村堰から玉川上水沿いの遊歩道を歩くのも気持ちが良い。 ほぼ平行して多摩川の土手も続いているので、遊歩道と土手を使って一周コースにしているウォーカーが多い。 一周してくると逆コースの人とは二度すれ違うことになる。 
 遊歩道は、玉川上水が暗渠になる杉並区あたりまで続くようだ。 三鷹からは一度歩いたことがある。 一方、土手は、すんなりというわけではないらしいが、河口まで続く。 我が家近くには、河口まで54キロとの標柱が立っている。 

 堰下橋で対岸に渡るのも私は好きなコースだ。 今日はこのコースを行くことにする。
 我が家からほぼ正面にあたる場所に、「羽村市郷土博物館」がある。 その横を通る土手はその少し先で終わり、そこから草花丘陵の山道に入ることができる。 
 博物館の裏手にある「センダン」の咲く頃かと行ってみたが、まだつぼみだった。 前回堰下橋を渡ったときには、橋の両側の「ニセアカシア」が花盛りだったが、今はもうすっかり茶色くなってしまっている。 季節はどんどん過ぎていく。

 川にはアオサギが遊び、キショウブが咲いている。 アオサギも今は頭の飾り羽や胸の羽毛が美しい時期だ。 キショウブはひところに比べると少なくなっているように思う。 野茨の花は盛りをやや過ぎてはいたが、秋にはどっさり実を結ぶだろう。
 川原の思いがけない場所に、スイカズラを発見したり、チガヤの群生している場所を見つけたり、対岸の川原で、今日はいくつかのうれしい発見があった。 蔓万年草の星型の花も満開だった。 草むらにはヨシキリのにぎやかな声があふれ、川からはカジカの声が響く。 気持ちの落ち着く散歩コースである。

 羽村に来て、初めてカジカの声を聞いたときは、まさかそれが蛙の声とは思わなかった。 夜、台所で片付け物をしながら聞くカジカや、千鳥の声に、遠い日を思い起こす。
ちがや

 ヨシキリの声に「初夏の到来」を知り、ホトトギスの声に季節の移り変わりを知る生活である。 今朝も、鶯が近くで鳴いていたが、今年はまだカッコウの声を聞かない。 このところ、けたたましくさえずるのはガビチョウだ。 篭脱け鳥もすっかり野鳥の仲間入りをしたようだ。 ガラス戸に影を映しながら留まったり飛んだりしているのはシジュウカラの雛たち。 雛がたくさんいて、親は大変だろうと思いながら、せわしなく動く影を目で追う。

 対岸の草花丘陵の緑もすっかり濃くなり、そろそろ入梅である。今年は早そうだ。
 羽村に住むのも、生まれ育った高円寺での年数の倍以上となり、最近は、都内に出る回数もすっかり減った。 身近な自然の中にとっぷりと浸かっているこの日々が、平穏に続くことを願っている。 自然豊かな散歩コースを選べる幸せを、いつまでも享受したいものである。  

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