09’8’13
〜 そ の 1 〜= 特 定 健 康 診 査 =
昨年から、健診とともに、「生活機能評価」も受診することになった。 内容は、「生活状況」、「運動機能」、「栄養」、「口腔機能」、「閉じこもり」、「認知機能」、「うつ傾向」の7項目に分かれ、各項目ごとに設けられた質問が合計25問あって、「はい」、「いいえ」で答えていく仕組みになっている。
今のところ、一人で買い物にも出かけられるし、階段の手すりも不要だし、電話も掛けられるし、「うつ」でもなさそうで、「要支援、要介護状態となる恐れが低い」との判定である。
健診に来た旨伝えると、看護師さんに用紙を渡される。 そのほかにも「健康診査の問診表」が20項目、大腸がん検診の7項目もあるから「答えまくる」感じになる。
今年気がついたことだが、これらの質問を看護師さんが口頭で聞いて書き込んであげている人が結構いる。 それこそ「以前は楽にできたことが今はおっくうに感じられる」と言う質問に「はい」と答える人なのかもしれない。 とりあえず、私は「渡せば自分で書ける」と思われているらしい。
世の中には「文字を読むのは嫌い」と言う人もいるから、ずらりと並んだ設問の数に圧倒されて、「書けない」となる人もいるのだろう。 看護師さんに書いてもらってはいても一人で通院できているのだから、まだ大丈夫だが、いずれは「要支援」の候補者ということになるのだろうか。 普通の日本人であれば、字が読めないわけでもあるまいから、観点を変えれば、「甘えん坊はボケる」と言えなくもない。 甘えの結果が「要介護」に通じるとなれば、先ず、精神的自立がこれからの年寄りには必須である。
= 認 知 症 検 査 =
70歳を越すと、運転免許更新のたびに教習所で講習を受けることになる。 更に、75歳を過ぎるとそこに「認知症検査」も加わる。 今回は半年の差でまぬかれた私だが、3年後の次回更新時には受けなくてならない「認知症検査」の練習を、今年の更新時にさせてくれた。
この認知症検査の問題が、警視庁のホームページで公開されていると知った時に見ておいたので、私には「見たことのある問題」だった。 それまで、前もって見ておけるのに検査の意味があるのだろうかと思っていた。 しかし、運転させられないほどの認知症では、いくら前もって見ておいても忘れてしまうのかもしれないと思うようになった。 今年の「練習」の段階で、傍目にも心配になる人がいたからである。
私自身にしても、今年は「見たことのある問題」だったが、3年後は「はじめて見る問題」になっている可能性も無きにしもあらずかと思うと、苦笑を禁じ得ない。
16枚の絵を見せられて、何が描いてあったのかをすぐ聞かれれば答えは容易に出ようが、まったく別の問題に回答した後で答えるようになっているのがミソである。 その間に忘れてしまう可能性は大だ。 年寄りは今聞いたことも、3歩歩けば忘れるなどと言うではないか。
その間の問題と言うのが「あいうえお」など、50音図のいくつかの行を、「おえういあ」というよう、下から逆に書けというものだった。 時間制限もある。 ばかばかしいと思うが、すらすらと出てこないものである。 「答えの欄に右から書いてしまえば簡単だ」などと良からぬことを考えたりしたが、まだ悪知恵が出るようでは合格なのかもしれないと思うとおかしい。 とにかく、これは3年後のお楽しみである。
何はともあれ、年を重ねると、何かにつけて「ボケの程度」を測られるのが現実らしい。 若くても年寄り顔負けの「ボケモン」もいるだろうに・・・である。 とは言うものの、練習の時点においてさえも、よくできない人もいたことを思うと、やはり必要な検査と納得せざるを得ないが、自分の生活機能が落ちていることにも気づかぬほど、人間の頭脳の働きは低下するものかと思うとそちらのほうが恐ろしい。
指を使うとボケないとか、頭を使うと良いとか言われているが、とりあえず日々の暮らしの中で、積極的に体を動かし、人を当てにせず、できることは自分でやるつもりで暮らしていくことが必要そうである。 長生きが普通の現代、「楽隠居」は、どうやら望むべくもないことになったようである。