蝉 の 声

   

11’8’11
 今年の夏は蝉の鳴きはじめるのが遅かった。 去年はうるさいほどの蝉時雨だったが、今年はセミの声が少ないと感じていた。
 早々と梅雨明けを迎えたこの夏は、例年、夏休みを待っていたかのように訪れる暑さが、夏休み前にすでに猛烈な酷暑となっていた。 そして、どういうわけか、夏休みを迎えると暑さは収まり、天気がぐずついた。 「戻り梅雨」と表現されたこのぐずつきが過ぎると、再び猛暑が戻り、熱帯夜も続くこととなった。

 やはり暑さがものを言ったものか、気が付けばセミの声が大きくなっていた。 油蝉の声が多い例年に比べると、今年はミンミンゼミが多いようだ。
 ミンミンゼミの声を、「鼻づまりのような声」と私は聞くのだが、人はどう聞いているのだろう。 ミンミンゼミの声を聞くと、私まで息苦しくなりそうなのである。
油  蝉

 昔、軍隊での「いじめ」に、「柱に止まってミーンミーンと鳴き続ける」と言うのがあったと言う。 この話を聞いたのは、まだ子供だった頃と思うが、非常に不愉快に思ったものだ。 と同時に大きなショックを受けた。

 戦時中、戦地の兵隊さんに慰問袋を送ると、返事の来ることがあった。 その印象も悪いものはなかったし、街で行き会う兵隊さんたちは、いかにも頼りになる感じで、子供にはみんな優しかった。 思うに、いずれもまだ、日本が敗戦に向かうことを感じさせない頃だったのだろう。

 その大人ばかりの軍隊の中で、そんな「いじめ」が行われていると言うことは、子供には信じられなかったし、新兵で入隊した兄もそんな目に遭わされているのかと心配だった。
 しかし、戦後、無事復員してきた兄にその事実を確かめることはついにできなかった。 あまりにも人間性を無視した行為であるし、そんな理不尽な上下関係というものにも納得がいかなかった。

 子供の時に受けたこの印象が強すぎたために、ミンミンゼミの声を落ち着いて聞くことができずにいるのだろうかと思うことがある。  「鼻づまり」の声を聞くと、私は「胸が詰まる」というわけだ。

 猛暑がぶり返し、庭木には油蝉が群がって鳴くようになった。 やはり夏は油蝉が鳴かなくては夏ではない。 油蝉の声は、夏を謳歌しているように聞けるのだ。 立秋前後には、油蝉の声がうるさいほどになり、なんとなくほっとしている。
 この油蝉の声にツクツク法師の声が勝るようになれば、朝晩、秋の気配を感じられることだろう。
 しかし、私がミンミンゼミの声をのんびりした気分で聞くことは、もう、ないのかもしれない。  

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