09’1’26
私が羽村に来た頃、清水屋さんは、当時どこの街角でも見かけるタバコ屋さんだった。 もう、五十年も昔のことになるが、普段の生活でちょっと必要になる熨斗袋とか、電球なども扱っていた。 おじさんの若い頃を知らないから、お店はご両親がやっていらしたのだろう。
タバコを自販機で買う時代になってからも、しばらくは店先にアイスボックスが置かれ、アイスクリームを買いに行ったりもしていたので、娘とは顔なじみのおじさんだった。
子供さんのない方で、奥さんはもうかなり前に亡くなっていた。 お店時代の名残を止めてはいるものの、表には引き戸が入り、普通の家のたたずまいになっている。 家庭の状況までは知らなかったが、「後をどうするのか」は気になるところだった。
幾日かして前を通ると、何人かの人たちが家の中の片づけをしている様子だった。 一人暮らしの方が亡くなっても、どうにかなるものだなぁと、ある種の感慨を覚えていた。
私が駅へ行くには必ず清水屋さんの前を通ることになる。
ある朝、前を通ると、風呂敷に包んだものや紐で束ねたものが「ごみ」として出されていたが、帰りに通ったときには、その中の一つが、「収集できません」の札を貼られて残されていた。 市のごみ収集の決まりに合わない物があったのだろうが、ぽつんと残されているのを見て、なんだか寂しい気持ちになってしまった。
気がつくと、家の横の、木の台の上では鉢植えの桜草が咲いていた。 おじさんが世話をされていたものだろう。 「あれも枯れちゃうのかな」と、思った。
幾日かしてまた通ると、桜草は元気に咲いている。 誰かが、ちゃんと水をやっているのだろう。 ほっとした。
家の片付けも大変なことだと思うが、最近は静かである。 表のガラス戸越しに一幅の掛け軸が見える。 おじさんの書かれた書なのだろうか。 主のいなくなった家への優しい心遣いが感じられることだった。
きっと清水屋のおじさんは、みんなに好かれていたのだろう。 八十代後半だったと聞くおじさんに、私は心の中で手を合わせ、障害のある娘にやさしく接してくださったことを感謝し、そっと冥福を祈っている。