05’5’28東海道新幹線の東京・新大阪間の営業開始は、昭和39年〔1964年〕。 東京オリンピック開催の年である。 「夢の超特急」と言われたものである。
子供のおもちゃも「超特急・ひかり号」で、頂き物の大きなものから、親が買った小さなものまで並べて、昭和38年生まれの息子は、よく遊んでいた。 「ビュアーンビュアーン走る・・・♪〜」と歌もできた。
子供たちが少し大きくなってからは旅行に良く利用した。やがて、各地に新幹線ができ、平成27年開業予定で、今度は北海道新幹線の工事が始まるという。 このニュースを聞いて、まず、「10年後か・・・」、と思った。
飛行機があまり好きではないので、列車で今の6時間が3時間40分で行けるようになると聞けば、「利用したい」、と思うのは当然である。
飛行機に乗っている時間よりも、飛行機に乗るために羽田まで出る時間のほうが、長くかかる土地に住む私だ。 新幹線ならば少しは近くから乗れるだろう。だが、「待てよ」、である。 10年後、果たして乗れるかである。 平均寿命まで生きるとしても、ぎりぎりではないのか。 長命の家系ではなし、乗れないかもしれない、と思ってしまった。
最も近くを通る高速道路、圏央道の話を聞いたときも、「生きているうちに利用できるかな」と思ったものだ。 こちらは一部開通の、青梅・鶴ヶ島間はよく利用しているが、土地の収用もはかどらず、全線開通まではとても待てそうも無い。人間は一体何年先のことまでを考えられるものなのだろう。
20代の頃は70歳という年齢は「想定外」だった。 50代を「すごい年寄り」と思っていたから、「将来」も、50歳くらいまでのことを考えていたように思う。 30代は子育て真っ最中で、「子供の手が離れたら」あれをしたい、これもしようばかりだった。 40代後半から50代は夫の病気と、思いがけず早くやってきた別れのショックから立ち直るのに消えてしまった。60歳の人は20年後を考えられるかもしれないが、「元気でいれば」と、頭の隅で思うに違いない。 しかし、70歳になれば、これが、「生きていれば」になる。
私も、10年後、元気で、バリバリ働けるとは、残念ながら思えない。 もっとも、70歳まで元気でいられたら嬉しいと思ってきた私が、無事その年齢に達し、相変わらず山歩きを楽しめているのだから分からないものではあるが。
10年後、20年後を抵抗無く考えられるうちは「若い」と言うことだろう。
北海道新幹線の話が、自分の年齢を考える機会にもなった。私が、最初に北海道を訪れたのは、確か昭和33年の夏で、列車と青函連絡船を乗り継いで、はるばる行ったけれど、飛行機の一っとびよりは、はるかに味のある旅ができたと思っている。 寝台特急で帰京したこともあったが、やはり昼間、外の景色を楽しみながら行くのが、旅の醍醐味だろう。
元気でいられれば、新しい新幹線に乗って、ぜひ、北海道を訪ねたいものである。