= 東久留米七福神 =
09’1’12
「七福神」ではあるが、巡るお寺は五か寺。 三人の神様が同居されているお寺があるということだ。 青梅線、西武線と乗り継いで東久留米駅到着。 駅前から延びる大通りを行くと、正面に大きな富士山が姿を現したのにはびっくりした。
最初のお寺は、布袋様の米津寺。 このお寺は、時間的に早すぎたのか、本堂にも鍵がかかり、お参りすることができなかったので、境内を少し歩いて次に向かった。 帰宅後調べたら、ここには多摩地区唯一の、大名墓所の景観をとどめる米津(ヨネキツ)家の墓所があるということで、寄れなかったことがなんとも残念だった。
次は、福禄寿、恵比寿、寿老人を祀る大圓寺。 大圓寺に向かう途中の黒目川は、小さな川ながら清冽な水が流れ、サギや鴨の姿があった。 運が良ければカワセミにも逢えるということである。
このお寺の、市内最古とされる庚申塔には気がついたものの、同じ文化財指定の馬頭観音塔には、まったく気がつかなかった。 並んでいたのがそうだったのかも知れない。
山門、楼門、本堂がまっすぐに並んで、お寺を形容するにはふさわしくない表現かもしれないが、「素敵な」お寺だった。
毘沙門天の多聞寺も、山門が文化財の指定を受けているお寺である。 東久留米のお寺さんは、よその七福神のように赤いのぼりなどはなかったが、唯一、多聞寺には提灯やのぼりが見られた。
浄牧院は、大黒天を祀る。 立派な楼門があり、天然記念物のカヤの大木もあり、十三重の塔があるお寺だった。 ここには江戸時代の旗本の墓所があるということも、帰ってから知ったことで、見てきてはいない。
最後に行ったのが宝泉寺。 ここの弁財天はびわを抱えた二臂の弁財天ではなく、八臂の弁財天だった。 琵琶を持った弁天様のほうが優しい雰囲気で私は好きだ。
宝泉寺の、石幢六地蔵は見た目も珍しかったので、すぐ分かったが、ここには、優しい「地蔵菩薩」もあるという。
歩道に埋め込まれた銀杏、つつじ、オナガのタイルがきれいだったので、何の気もなくカメラに収めてきたのだが、これは東久留米市の、市の木、市の花、市の鳥であったのだ。
帰宅後に改めて知ったことが多かったのは、まことに遺憾なことであった。 不勉強な者はせっかくの機会も有効に使えないと、わが身が情けなかった。 また行く機会があるかどうか分からないのだから、どこへ行くにしても、やはり事前にある程度の「予習」はしておくべきだと、つくづく思わされた、今年の「東久留米七福神めぐり」だった。 My Gallery・「東久留米界隈」にもどうぞ