山で亡くなったTさん

04’10’13
==これは4年前に書いた文章です==

 市のハイキングクラブで一緒のTさんが亡くなった。十月七日、快晴の土曜日のことだ。
 「奥多摩の山で落ちて、ヘリコプターで搬送されたけれどだめだったんだって。会長も副会長も、男連中みんな留守なのよ。私も仕事先なので困っているの」との、仲間からの電話が第一報だった。午後二時半を少し回っていた。どこの山かということも、詳しい話は一切分からないまま、その後の連絡を引き受けた。じきに、副会長と連絡がついた。 

 奥多摩に近いという地の利を生かして、クラブでも個人でも、私たちはよく奥多摩の山に行く。落ちたら命に係わりそうな場所としてまず頭に浮かぶのは川乗谷だった。しかし、昨日今日山登りを始めた人ならいさ知らず、Tさんが落ちるとは考えられなかった。 
 クラブの月例山行で、先月、川乗山へは行ってきたばかりだったが、Tさんは見えなかった。 
 七十一歳のTさんは、地元の中学の教師をしていた関係で、「先生」と呼ばれていた。クラブには教え子だった人もいる。 

 夜になって、ハイキングクラブの連絡網で、葬儀の日時とともに、やはり、川乗山・百尋の滝付近での事故だったことを知った。自分の庭のような川乗山で亡くなるなんて・・・。  

 お通夜で顔を合わせた仲間は一様に、「何であんなところで」と不思議がった。滝の手前でちょっと出っ張っている、あの岩につまずいたのだろうかとか、数年前に癌で亡くなった奥さんが迎えに来たのでは、という話にもなった。喪主の娘婿さんは「あの慎重な父が、と信じられません。これからは、母とまた、山を歩くことでしょう」と挨拶された。 

川乗山の”五葉つつじ”

 何かと「先生ぶり」を発揮するのがいやだという人もいた。「先生の噂話で盛り上がって、急登も一気にいけたよ」という話が伝わって、「やはり、私たちには、なくてはならない人というわけね」とおかしがったこともあった。 
 酒好きで、下山後の「いっぱい」を楽しみにしている人だった。 

 好きな山で死ねれば本望だろうという人がいるが、とんでもない。山で死んではだめだ。山を涙で登ったり、眺めたりする人がいてはいけないのだ。Tさんだって無念だったと思う。
 少し落ち着いたら、みんなで花とお酒を持って、川乗山へ行くことになるだろう。  

==これ以来私たちの足は、川乗山には向かなくなってしまっています==

[目次に戻る]