08’6’25
カメラマンも次第に増えてきた。 写真教室らしい指導者付きのグループもいた。 例によって高年齢の人が多いようだ。
すぐ横で三脚をすえていた女性に先生が、「両側に道が入っているのはどうだろう」と言っているのが聞こえた。
「両側に道」。 多分「真ん中に花菖蒲の畝があって、両側に土の部分が入っているのかな」と想像しながら、聞くともなく聞いていた。 東山魁夷画伯の『道』の、白い道の部分が彼女の場合は花菖蒲か、などと思い描いた。
このグループのその日の指導内容は「前ボケと、後ボケ」らしかった。 そういえば、妙に前ボケにこだわる人がいたりするのは、写真教室での指導の結果なのかも知れないと思い当たった。
200ミリにしたときと300ミリにしたときとでは・・・などと言う声も聞かれたので、そういうことも教えてくれるのだと思いながら、私は例によってマイペースで自己満足の写真を撮り続けていた。
ちょっとのどでも潤そうと、ベンチで持参のお茶を飲んでいたら、近くにいた男性二人の話が耳に入ってきた。 知り合いと言うわけではないらしかった。
一人が、「写真教室では先生好みの写真を撮らないといけないのだろうから、どうも行く気になれなくて」、と。 もう一人が、「でも、どこかのクラブに所属していないと写真展での入賞は無理らしいですよ」、と。 どちらも「そうかもしれない」と私は思った。
昔、生け花の研究会仲間のおしゃべりで、「先生の生け方に疑問を感じることがある」と言う話になったとき、「どうあれ、私は先生の言われるように生ける」と言った先輩に、一同「偉い!」と、声を上げたことがあった。 研究会での点数も、採点者が自分の弟子に高得点をつけているとのうわさもあった。 どこの世界でも同じことは言えるのだろうと思う。
生け花にしろ、写真にしろ、誰が見ても、文句の付けようがない作品に仕上げれば、問題はないというのが私の結論ではあるのだけれど、人には「好み」と言う、時として面倒なものがある。
気がついたら、もう12時を回っていたので、塩船観音にはまた来ることにして帰ってきた。
家でお昼を食べながら、新聞の折込チラシを見ていたら、市の「生涯学習センター」のイベント日程の中に、「プロに学ぶ“photo”作品作り」と言うのがあった。 内容として、「各地で開かれているコンクール等に出品する作品を撮影するための基礎を学びます」とある。 やはり作品展に応募するには、それなりの「コツ」があるということらしい。 あまりのタイミングのよさに、思わず「にんまり」してしまった。 応募多数の場合は抽選とある。
同時に、下手でも一点は入選させてくれる写真展、「西多摩百景展」の案内も載っていた。 こちらは、お正月に福生のギャラリーで開かれた作品展を今度は羽村でまた行うと言うことで、先日、作品を会場に搬入する日程の連絡が来ていた。
写真撮影も、きちんと指導を受ければ、得るものは大きいのかもしれないと考える。 しかし、「いまさら」と言う気もする。 所詮、自己満足の世界だろうから、抽選するほど希望者が多いのでは、遠慮しておこうかと思った。
その指導を受けた人が全員「入賞を果たす」こともなかろうし、などとさめた見方をしているようでは、上達も望めないと反省はするのだけれど、楽しく撮れればそれでよしとするのも一つの考え方だろう。
近いうちに、塩船観音の紫陽花を撮りにいくことをまずは考えたい、と思っている私である。 (Galleryへもどうぞ)