06’11’8今年は秋になっても気温の下がり方が弱く、暖かな日が続く。 そのため庭の草もよく伸びる。 そろそろ草むしりでもするか、と思い立って家の裏に回る。 さすがに夏の草とは違い根の浅い「ハキダメギク」などが多い。 可愛い花だけれどはびこっても困るから抜いていく。
チョウセンレンギョウ そろそろ仕事をおしまいにしようかと思う頃から、なんだか嫌な匂いが鼻につく。 芝生によくおいていかれる猫の糞とは違う匂いだが、明らかに「それらしい」匂いだ。 気になるので匂いの元をたぐっていく。
「これだ! これは何!」である。 チョウセンレンギョウの下に、黒い糞の小山が三つ並んで悪臭を放っている。 とっさに、「誰がこんなものをおいていったのだろう」、と思った。 「頭に血が上る」と言うのはこんな感覚だろうか。 「あぁ、嫌だなぁ」と思う。 表面が白っぽくなっているのは、長い間放置されていたと言うことだろう。
我が家ではこれを片付けるのも当然私の仕事になる。 とにかく今日はやめだと家に入るが、気の重くなるのは言うまでもない。落ち着いて考える。 猫のものではない。 犬でもない。 あれが「溜め糞」と言うものなのだろうか。 糞を同じ場所にする習性のある動物で、このあたりにいそうなものは、と考える。 まずは狸。 池の鯉を食べられる家で調べたらアナグマの仕業だったと、地元紙の記事の記憶がよみがえる。 確かそれは比較的近くの話だった。 ハクビシンに住み着かれて、糞の重みで天井板が下がるまで気づかなかった家の話も聞いた。
アナグマの餌になるようなものはこのあたりにはなさそうだが、雑食性の狸はいても不思議はない。 しかし、狸のものにしては大きいような気もする。
「溜め糞」でネット検索してみたら、「これだ!」と言う写真が見つかった。 やはり、犯人は狸らしい。
20年ほど前、河原に住む狸夫婦が、多摩川べりの我が家の庭を通って、夜な夜な近くのお店の裏に出かける姿を見ていた。 野菜くずでも食べに行くのだろうが、「ウチはけもの道だね」と笑ったことがある。
玄関前で息子がタバコを吸っていたら、門から入ってきた狸と目が合ったけれど、狸はそのまま入ってきて庭の方へ行ったと言う話には大笑いした。
玄関からのぞいた狸に「何もないから、パンでも」と食パンをやったら、花壇の縁石に立てかけて口で器用に二つ折りにしてくわえて行ったものだ。「餌場」のお店は今もあるし、近所にも狸の「ねぐら」になりそうな空間のある家は多いように見受けられる。 一応、我が家の周囲も点検したけれど、住み着いている気配はない。 このあたりには昔も今も、狸の行き来を妨げる障害物は何もない。
狭山市・智光山公園にて 穴を掘って埋めるか、ゴミに出すとするかと、夜、寝ながら考えていたが、結論に至らず眠ってしまった。 朝起きると娘が、「音をたてて降っていたけど、雨が止んでよかった」と言う。 「雨が降ったのでは穴掘りだ」と、処分方法は決まった。 少し深く掘りたいから、木の根のなさそうなところで、「現場」に近いところとなれば、さして広い場所ではなし、考えるまでもない。
朝一番の仕事としてスコップで穴を掘る。 思ったよりも楽に40センチほどの深さに掘れた。 次にチョウセンレンギョウの邪魔な枝を切る。 いよいよ「現物」の運搬だ。 雨にぬれたので、発見したときよりも土の色に近い感じになっていたのを幸いと考えるべきか。 草かきでスコップに載せて運ぶ。 掘った穴の大きさもちょうど良く、思ったよりも手早く片付けられた。
後には薄めのクレゾールをまいておいた。 クレゾールの匂いで狸が躊躇すればいいのだが、それが問題である。 効果がなければ、「元から断たなければ駄目」かもしれない。東に行けば「餌場」、西に行けば「トイレ」、交通量の多い道路を横断する必要もなく、狸はさぞかし快適ライフを満喫していることだろうが、トイレ掃除の役は願い下げにしたいものである。