急 性 胆 嚢 炎    

 

11’3’13
 なんとなく元気がない。 テレビを見ているかと思うとうつらうつらしている。 散歩に行こうかと誘っても「行きたくない」と言う。
 そんな娘が、「息を吸うとお腹が痛い」と言いだした。 仕事を休んで様子を見ることにする。 「まだ痛い?」と聞くと、「だんだん痛くなってきた」と言う。 やはり医者に見せたほうが良さそうだ、と判断したのが、十一時を回ってから。 病院の受付は十一時半までだし、近くの医院に行った方がいいか・・・と、迷う。            

 急いで病院に行く。 道中何箇所かの「工事」でいらいらする。 病院の玄関で、「受付を先にしたいので、ここにちょっと停めさせて・・・」と駐車場係りのおじさんに言うと、「時間が過ぎているから無理だよ」と。

 無理を承知で受付に頼み込む。 外来に電話をかけてくれるが、やはり「時間切れ」と言う話。 「頼りにできる先生」は外来の日ではないようだ。 いったんは引き下がったが、椅子から立ち上がるのも辛いほどになったと言うので、もう一度「何とかして・・・」と泣き付く。   

 「予約の人と、予約外の人が済んでからなので、何時になるか分らない」と言う。 医院に行った方が早いのでは、と言われたが、今から行っても三時からの診療になるのでは似たようなものだと思い、「何時でも待つから」と食い下がり、やっと内科で見てもらえることになった。 粘り勝ちである。

 いろいろ言われた割には早く、一時に呼ばれるとすぐ、エコー検査。 「急性胆嚢炎」らしいから即入院するようだと、外科に回される。 心電図・CT・レントゲン・採血・血液の凝固時間測定・・・と、車椅子に乗せて動き回る。 大きく腫れた胆嚢の写真を見せられる。 その合間に手術についての説明、麻酔についての説明、輸血に関する説明と同意書、血液製剤の使用に関する説明と同意書・・・などに目を通し署名する。

 実際にはゆっくり目を通す暇もなかったが、この期に及んで「同意しない」わけにも行かない。 心不全だの、脳梗塞だのの既往症があるから、医者も慎重だ。 手術用の靴下を履かせるのにも、麻痺の残る方は伸縮性のある包帯で、強めに巻く。 血圧を測り、手術着に着替えさせ、よってたかって準備をしてくれる。
 「病院内にいてほしい」と、連絡用の携帯電話を持たされ、「表で待っているからね」と、手術室に入る娘を見送ったのは午後六時だった。

 手術に必要な「術後腹帯」などを購入したついでに、調達しておいたおにぎりと飲み物で腹ごしらえだ。 何があるか分らない娘である。 「腹が減っては戦はできぬ」と言うわけだ。 手術をする娘には好都合だったが、私も朝から飲まず食わずで動き回っていた。 何しろ入院予定のないまま来たのだから、入院手続きもまだしていなかった。

 あわてて出てきたので、携帯電話を置いてきてしまった。 息子に連絡しようにも番号を覚えていない。 公衆電話の前には「個人名の番号簿」はない。 個人情報を守るためだろうが困る。
 娘を手術室に送り込んだ後、104番で番号を調べてもらった。 住所もかなりあやふやだったが、調べてくれた。
 まだ勤めから戻っていなかったが、孫が、電話をしてくれると言う。 勤務先から病院まではそれほど遠くはないので、ほどなく来た。
 糖尿病患者は、痛みの感覚が鈍いのだそうで、すでに内視鏡での手術ができる段階ではなく、開腹手術になったのだった。 何かあったときには一人では動きにくいから、息子が来てくれると心強い。

 手術室の戸が開いて、娘のベッドが出てきたのは八時半を回っていた。 人工呼吸器をつけ、術後患者の入る病室ではなく、そのまま隣のICUに入って行ったのが気になった。 しばらく待って、「どうぞ」と呼ばれて入る。 声をかけると目を少し開けるが、まだ朦朧としている。
 心配したが、翌日午後には一般病棟に移り、幾日もしないで大部屋に引越し、十日目には無事退院した。 もっとも、抜鉤は後日外来でと言うことで、「ホチキス留め」のままの退院だった。

 摘出された胆嚢は、すっかり変色しており、こうなるまであの激烈な痛みを感じなかったのかと、糖尿病の恐ろしさをも改めて知った、娘の「胆嚢炎」騒ぎだった。  

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