床 下 の 住 人  = タ ヌ キ =

07’6’24
 台所で夕飯の支度をしているときに、また、ごそっと音がする。
 我が家の台所の作りは、流しやガス台などのある部分が、出窓のような形になっていて、外から見ると、柱で支えられた場所にちょっとした空間がある。 その柱に何かがぶつかるような音で、考えてみればかなり前からのことである。 猫かなと思っていたのだが、猫は音を立てないだろうし、音のする時間も毎日大体同じころだ。

 以前、床下に入り込んだ子猫が出られなくなって困ったことがあったが、そちらはしっかり塞いでもらい、台所部分は建て増しをした関係で、奥には通じていないはずなのだ。 やがて、流しの前に立つと足元の床下に、なにやらの気配を感じるようになった。 「何かがいる」のである。

 このあたりはまだ自然があるというのか、開発の名で自然が失われた結果、ここらに住まざるを得なくなったということか、本来、山にいるはずの生き物が結構いるらしい。 アナグマ、ハクビシン、タヌキ・・・。
しかし、そんな大きさのものが入るはずはないと思っていた。 穴を掘れば入り込むかもしれないが、それらしい形跡もない。
 懐中電灯で、風抜きの穴から覗いてみると、ごそごそ音がして、何かがいるらしいが分からない。 そのうちに、「クー」と、かすかに声が聞こえるようになった。 猫ではない。 どう考えても子供がいるようだ。 昼間は静かなのだから夜行性の動物なのだろう。 どこから入り込んだのかも分からないが、「弱っていく」様子はないから、親がいるのだろう。

 そうこうしているうちに、夕方集金に来てくれた近所の奥さんが、「今、なんだろう、黒い小さい生き物がお宅の裏の方へ入っていくのを見た」と言う。 「猫じゃなかった」とも。 「イタチの子供はどんな色かな」などと話したが、イタチはかなり大きいから無理ではないかとも考えた。 なんだか分からないけれど、「出られないわけではない」ことだけは確認できた。   

 どうやら暗くなると外へ出てくるらしいことが分かり、日が暮れるのを待っていた。 床下で音はしないけれど、暗くなってきたので、台所の窓を開けて下をのぞいてみた。 何やら黒いものが動いている。 急いで懐中電灯で照らしてみる。 どうもタヌキの子らしい。 一匹や二匹ではない。 写真に撮ろうと思うが暗い上にチョロチョロ動き回るのでピントが合わせられない。 こちらを見上げた顔がなんとも可愛らしい。 まだ小さくて、熊のぬいぐるみのようだ。 ネットで調べると、背中の模様からタヌキであることは確からしい。 それから毎夕タヌキを眺めるのが日課になってしまった。

 ぞろぞろ出てきたのがしめて五匹。 狭い窓の下でじゃれあう。 だんだんに行動半径が広がり、私の野草園の中を我が物顔に歩き回る。 何しろ五匹で、日増しに大きくなる。 暴れ方もひどくなり、大事にしているあの草、この草が心配になる。 野草園の中に、細い「けものみち」も通じた。
 少し明るいうちから出てくるようになり、写真にも撮りやすくなった。 多少の躊躇はあるらしいが、あまり警戒心はなさそうだ。 子供が迷惑をかけているのに、親は顔も見せない。

 子供の出入りには音がしないから、あの「ごそっ」と言う音は、親の出入りだったのだろう。 良い場所を見つけたものだ。 はっきりとは確認できないのだが、わずかな隙間があるらしい。
 床下に住んでいても構わないけれど、ダニだのもろもろの菌をまかれるのは困る。 以前、庭隅にトイレを作られて往生していたことがあったけれど、今度は住居の提供である。 トイレの有無も一応調べなくてはならない。 この上「食」まで提供して「永住」を決意されては適わないから、それはない。 とりあえず、十月の親離れの時期まで様子を見ようと思っているのだが、どう考えても七十センチ四方くらいしかスペースはないはずなのである。 親子七匹が入れるわけがない。 この先、どうなることだろう。  

  他人事ながら心配していたが、二十七日、一日留守にして帰ってきたところ、床下が妙に静かになっている。 日が暮れてもコダヌキがでて来ない。 どうやら引越したらしい。 昼間移動するとも考えられないから前の晩に出て行ったのだろう。 あの子供たちをつれて出て行くところを見たかった。 一言の挨拶もなく出て行った。
 ほっとすると同時に、予想外にあっけなく終わってしまったタヌキ騒動に一抹の寂しさを感じたのも事実だ。 人間とはまことに勝手なものである。
 それにしても、どこに行ったのだろう。 雨が降り出すとちょっと気になってしまうのである。    

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