現 代 ト イ レ 事 情  

 

10’9’10
 彼女の都心のマンションでの一人暮らしが、我々仲間にとっては大変好都合で、何かと彼女のお宅を会場として使わせてもらうことになる。
 先日も「暑気払い」に名を借りた「お楽しみ会」で、彼女のお宅に伺った。 ワンフロアに改装した広い部屋で、しゃべって、飲んで、食べて、笑って、あっという間に時が過ぎる。  

 長居をするので、当然トイレも借りることになる。
 トイレを済ませ、手を拭きながら振り向くと、今閉めたばかりのふたが開いている。 いつもの癖で「最後までしっかり締めなかったかな」と思う。 我が家のトイレのふたは、下向きに押すと「勝手に」下まで閉まるのだ。
 もう一度閉めなおす。 だが、すぐ開く。 レースのついたお洒落なカバーのかかっているふたを、もう一度しっかり下に押し付けておいて、振り向かずに外へ出た。

 しばらく時間を置いてトイレを借りた仲間が、「あのトイレのふたはどうなっているの」と家主の彼女に聞いている。 やはり、「閉めても閉めても開く」ふたにてこずったとみえる。 「そのまま出てくればいいのよ」と、こともなげに家主は答える。 経験済みの仲間が、「離れると閉まるのよ」と、口を添える。 「へぇ、そうなんだ」である。
 マンションは、トイレも作りがコンパクトなので、「離れる」には室外に出るしかない。 手洗いまででは、「離れ方」が足りないのだろう。
 

 最近は何事も「自動的に・・・」が流行っているが、ついにトイレにもその波がきたということか。 近寄れば「どうぞ」とふたが上がり、用がすめば「そのままどうぞ」と閉まるわけだ。

 日ごろの癖で、ドアの前に立てば開くものと思い、蛇口に手を伸ばせば水が出ると思う人は多いだろう。 蛇口も最近は凝ったものが多く、「ひねるとジャー」なんて言葉も通じなくなっているに違いない。

 彼女の家のトイレは、手を出しても水は出ず、細いバーを横に動かすスタイルだった。 ちなみに我が家のトイレの手洗いは、娘のための改装以来、手を出すとセンサーが感知して水が出るものになっている。 その習慣で、すぐ開いてしまうふたを気にしながら、束の間、私は蛇口の下に手を出して待っていた。

 以前、都心の喫茶店で、どこに水を流すボタンがついているのか分らないトイレを借りたこともあり、今や、トイレもぼうっとしていては使えない時代である。 たかがトイレ、されどトイレだ。
 規格も無く、発想豊かなトイレが巷にあふれたら、年を重ねて行く私は、「トイレ恐怖症」に陥るのではないかと危惧するのである。   

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