09’12’10
とは言え、今日の隆盛を見るようになったのはやはり戦後のことであり、カタログ販売の主催業者が出てきた1960年代からと思われる。 10年後にはテレビショッピングも始まり、1980年代後半には宅配便サービスの拡充に伴い、今日の繁栄が築かれたと言うことになるようだ。
大手のデパートなどでもやっているが、通販業者の「専門性」には及びがたいのかもしれない。
一方、ウェブの世界でも大活躍である。 ほしい本の注文など、町の本屋の「お取寄せ」よりもぐっと早く手元に届く。 更に「これをお求めの方はこちらもお求めです」なんて“サービス?”までしてくれる。
世の中には「通販大好き人間」がいるらしい。 カタログ販売のみならず、テレビショッピングもある時代である。 家にいながらにしてほしいものが手に入るのは便利だし、楽である。 仕事が忙しくて、買い物に時間の取れない人には重宝この上ないシステムだろう。 一方、あの手この手の宣伝上手に乗せられて、ついつい不必要な品物まで買ってしまうこともあり得よう。
「通販大好き」には至らないが、我が家でも、カタログ販売を利用することがある。 ほとんどの場合、娘の衣料品で、利用業者は一社に決めてある。
娘には思った通りのものが届くことが多いのだが、たまに便乗して利用する私には、ちょっと不満の残る品が届くことがあるのは、年齢的に、ターゲットの範囲外なのだろうか。 返品も可能だが、それがまた面倒で、そのままにしてしまう。 「通販じゃ仕方ない」と諦めるのである。 そのつど、買い物が下手なのは自覚しているのだし、行けないわけではないのだから、やはり自分の目で見て確かめてから買うことにしようと思うのだが、送られてくるカタログを見ていると、またぞろ気持ちが揺らぐのである。
一度利用すると、以後何年でもカタログを送ってくる業者が多いのは、「気持ちの揺れ」を見越しているのかもしれない。 そのカタログ代も商品代に含まれているのだろうから、複雑な気分である。
ユニクロの名が知られだした頃、一度カタログを請求したことがあった。 まだ身近に店がなかった頃の話である。 ほかの業者のように、即、くずかご行きとなるたくさんのチラシなどの「余計なもの」はなく、カタログ一冊だけが送られてきた。 そして、購入後も一・二度は送られてきたが、間もなくカタログもこなくなった。 必要、不必要を見極め、無駄を省く、そのしっかりした管理、方針の結果が、今日の大発展につながっているに違いないと感じる。
宣伝に乗せられ、すぐ「その気」になって買い込みたくなる人は、業者には大事な大事なお客様だろうが、その結果、「ガラクタが増えるばかり」の人も多いらしい。 言葉は悪いが、業者にとっては「カモ」である。
大ブレークしたと聞く「健康ぶら下がり器」も、今や多くの人が、ハンガーをかけて衣装台に転用しているというし、各種掃除道具も使いこなすのは難しいらしい。 主婦がほしいのは「道具」ではなく、「掃除をしてくれる人」だろうから当然だ。
室内での自転車こぎやジョギングは、実際には外でやる方がはるかに気持ちが良いだろうし、「家の中で気軽に・・・」というところで、[その気」にさせられるのだろうが、道具があればできるわけではなく、あくまでも「本人の意志」にかかっていることだ。
業者にとっては、売った先でガラクタになろうが、どうなろうが、要は売れれば良いのだから、利用する側にもそれなりのしっかりした考えが必要だろう。
好むと好まざるとに関わらず、人々の生活の中にしっかりと根を下ろした感のある通販である。 幾度かの「苦い経験」を経た私は、「仕立ての悪さが気になった上着」を最後に、カタログは参考にとどめ、品物は店で「見て買う」ことに決めた。 と同時に、来年はまた洋裁をする時間も捻出しようと考えている。
カタログは「見てくれ」もいいし、注文するだけで済むのは楽ではあるが、同じ「仕立ての悪さ」でも、自分の「腕の悪さによる」方が我慢できると言うものだ。 少なくとも、「カモ」にならないために・・・。 とは言うものの、楽をしたいのは人間の本性かも知れない。
さて、この私の中での攻防戦、元気に動けるうちは、勝者でありたいと思っている。