10’7’25
今年は梅雨明け後すっきりと晴れ上がり、連日の猛暑に見舞われている。 まさに「梅雨明け十日」である。
むしむしと湿度の高い日々に、「熱中症」で病院に搬送される人の数もうなぎのぼりだ。 不幸にして亡くなる人も毎日出ている。
人間はげんなりしているが、庭に生える草は元気なものだ。 夕立でもあれば生き生きとしてますますはびこる。 夏の草は根の張りもしっかりしていて、ちょっと引いたくらいでは葉っぱだけがちぎれて、根は残ってしまう。 数日を経ずして元通りだ。
今年は、「梅雨が明けたら庭仕事」と決めていたが、梅雨が明ければ庭は見事な草原と化している。 日中はとても外で働ける状態ではない。 畑で倒れて亡くなるお年寄りも続出している。 草ぼうぼうの中でひっくり返っているのも本意ではないから、働くのは早朝になる。
若い頃と違い、疲れがすぐ出るわけではないので、目覚ましをかけて、何が何でも起きることはしない。 自然に目が覚めるまで寝て、目覚めた時間からできるところまで働く。
よくしたもので、大体五時前後には目が覚める。 約二時間しかできないが、「朝飯前の仕事」としては年齢相応のようである。
庭に草の山を作った後、本業の主婦業が始まる。 とにかく午前中に全ての仕事を片付けてしまいたいので大忙しである。
洗濯物を干し終えると、取った草を広げる。 強い日差しで、昼過ぎに一度裏返しておけば、夕方にはからからに乾燥して、かさも減る。 日がかげる頃袋詰めの作業をして一件落着となる。 二〜三日分で一回のゴミ収集量をやや上回る量になると言う寸法である。連日、同じ作業を繰り返している今年の「梅雨明け十日」である。
この、草を広げたり、裏返したり、更には乾いたものを少しずつ手元に引き寄せて袋に詰めていく作業に、なくてはならないものが「火掻き棒」である。 昔は、干して乾燥させた草を、日が落ちてから燃やしていたから、正真正銘の「火掻き棒」として大活躍だったが、最近は家で火をたく機会もなくなり、もっぱら「草掻き棒」である。
この「棒」、実は亡夫の手作りなのである。 同じような鉄の棒が何本かまだ残っているので、それを加工したものらしい。 まことに器用な人ではあったが、まるでプロの鍛冶屋が作ったようなできばえで、これがなければ、今、私はどうしていただろうかと思う。 ちゃんと持ち手もできていて、よく使うので、そこが光っている。 「結構使いやすいだろう」と本人も満足げだったことを思い出す。
早朝五時前、北アルプスのあの山、この山で、ご来光を拝もうと待っていた頃が懐かしいが、草をむしり、少しずつ庭の土が見えてくるのも悪くはない。 亡夫にも「それなりに」手を貸してもらっているわけである。
それにしても、同じ「梅雨明け十日」の過ごし方も、変われば変わるものである。