07’7’27
そこは、昔はホテルだったそうで、戦時中は軍隊に接収されていたと聞いていた。 やがてさる会社の社長さんの所有するところとなり、社員のパーティーが広い庭で行われていた記憶がある。 道路から玄関に通じるカーブした道が印象的な家だった。
やがてその門は閉鎖され、そこには築山が築かれ、木も植えられ、外から見てもかなり雰囲気が変わって行った。 今までの裏口が表口になったらしい。
その後も家が改築されたり、プールが作られたり、我々には縁のない生活の場に思えた。
あまり生活臭の感じられない家だったが、奥さんの姿は時折見かけていた。
時が流れ、社長が亡くなったと聞き、良くも悪くも、社長夫人にはとても見えないと言われていた奥さんも見かけることがなくなっていた。 子供さんたちも都内住まいで、家の人は誰もいないと言う話もあった。
「留守番のおばさん」と言う人にはよく行き会っていたが、私にはそれ以上の関心がなかった。
仕事の面でも、すべてが順調に進んでいた頃だったのだろう。 近所の奥さんが何人か、「草むしり」のアルバイトに、このお宅に行っていた。
ある日、このお宅のシェパードが庭にやってきて、窓から下げて干していた布団を引き摺り下ろし、噛み付いてびりびりにしてしまうという事件が起きた。 私は怖くて、家の中からなすすべもなく見ていた。
我が家だけではなかったのか、幾日かして、「草むしり」に通っていた奥さんを通じて、既製品の「布団側」が届けられた。 一言「ごめんなさい」と言ってくれれば済むことだったのに、謝罪の言葉はなかった。
結局は受け取ってしまったことを、私はのちのちまで後悔していた。 その後、犬は千葉へ連れて行ったという話だったが、私は、この事件以来、このお宅にはあまり良い感情を持てずにいた。
細かい事情は分からないながら、たくさんの樹木が連日切られていくのは他人事ながらやりきれないものがある。 大きなケヤキが何本もあるので、作業は大変だろうが、そのケヤキの葉で樋がつまって困ると嘆いていたお隣では、ほっとされるかもしれない。
境を接するご近所は、夏中続くであろう重機の音で、暑さもひとしおに感じられることだろう。
考えてみれば、見るからに羽振りの良さそうだったお宅も、時が移り、人も変わり、三十年もすれば、昔日の面影さえ留めない状態となってしまうのである。 有為転変、まことに人の世は、はかないものだ。
お正月を迎える頃には、二十世帯の新しい住人の皆さんが、希望に満ちた生活を始めているのだろう。
昔を知る私は、それをどんな思いで見ることになるのだろう。 昔を思い出すよすがとて見当たらない新しい一角の誕生で、心機一転となれるものだろうか。
「今日はまだケヤキが残っている」と思いながら眺めたりしている私である。